「NON STYLE」石田明 なぜヒリヒリと<漫才とは何か>を追求していた『M-1グランプリ』で奇抜な漫才が台頭してきたのか?「そのきっかけは2010年からの…」
◆漫才の伝統からの脱却と進化 「THE MANZAI」は優勝者を決めるコンテストでありながらも、かつてのM-1のようなヒリヒリした緊張感はない、バラエティショーの側面が強い賞レースでした。これこそ漫才の伝統からの脱却と進化を引き起こした、象徴的な番組やと思います。 それは「THE MANZAI」が、「ウケやすさ」「笑いやすさ」に特化した大会だったからでしょう。 M-1は競技的な側面が強くて、お客さんも緊張した状態で見ています。素直に「面白いものを見て笑いたい」というよりは、「誰が一番面白いかが決まる瞬間を見届けよう」という意識が強いのかもしれません。 特に2010年までのM-1は審査員の点数もかなり厳しくて、今映像で見返しても、胃が痛くなりそうなくらいピリピリしているのが伝わってきます。 そこが「THE MANZAI」は大きく違いました。 M-1でひどくスベって苦い思いをした漫才師はたくさんいますが、「THE MANZAI」でそんな思いをした漫才師は、たぶんいません。僕らも2012年と2013年に出場したときは、めちゃくちゃやりやすかった。M-1とはまったく空気が違うと肌で感じたし、実際、ウケました。 それだけ「ウケやすい環境」やったんです。「THE MANZAI」のプロデューサーから実際に聞いた話ですが、これは偶然の産物ではなく、制作側の意図として、そういう「誰もが笑いやすい空間」を作っていたそうです。
◆「じゃんけん」大会から「何でもあり」大会へ そんな「THE MANZAI」がM-1に与えた影響は、さっきもいったように、かなり大きかったと思います。 まず、5年のブランクを経て開催された2015年のM-1は、歴代のチャンピオンが審査員を務めるといった点で、以前よりバラエティ色が強くなっていました。 その後のM-1を見ていても、たとえばネタが終わった後の司会者との絡みでボケる人なんて以前はほとんどいなかったけど、今はみんな1笑い、2笑いくらいはとっています。そんな「平場の面白さ」でも、お客さんを楽しませる大会になっています。 M-1は、もちろん今でも競技色は強いし、スベるときは容赦なくスベります。ヒリヒリするところも健在だけど、以前とは打って変わって、バラエティ色もかなり強くなっている。 それが「漫才とは何か」「漫才とはこうあるべし」みたいな感覚からの”規制緩和”にもつながって、かつて「じゃんけん大会」だったM-1が、今のような「超多様な大会」になる1つのきっかけになったんやと思います。
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