高校生だった稲本潤一が憤慨した理由は… 記者として認められる契機は小野の進路的中
サッカー元日本代表MFで、関東リーグ1部の南葛SCに所属する稲本潤一(45)が4日、都内で会見し、現役引退を発表した。「黄金世代」と呼ばれる1979年度生まれで、02年W杯日韓大会では2得点し、日本の初の決勝トーナメント進出に貢献。同大会の日本代表最後の現役選手だった。G大阪の育成組織出身で、名門アーセナルなど海外でもプレーしたレジェンドが28年に及ぶ現役生活に区切りをつけた。 【記者フリートーク】稲本は16歳の頃にはG大阪ユース所属ではあったが、トップチームの練習にも参加していた。当時、堺市の自宅から地下鉄とモノレールを乗り継いで通っていたが「誰も僕って分かれへんから、声をかけられたこともないわ」と笑っていた。 ただ、当時高校生だった稲本は試合に出ても「勝利給もらわれへんねん」と憤慨していた。G大阪が高校卒業までお金をプールしていたからだ。だから、兄貴分だったGK都築龍太らがよくお昼ご飯をごちそうしていた。もっぱら大衆的なうどん屋が多かった。 99年世界ユース選手権で準優勝したメンバーがどのクラブに入団するのか。特にMF小野伸二の動向について気にしていた。「エスパちゃうん?」「いや、レッズや」「マジで!?」。小野の進路を当てて、ようやく記者は稲本に認められた。 01年に京都からMF遠藤保仁がG大阪入りしたが、クラブ関係者は「稲本が海外移籍するから、その後釜」と話していた。遠藤も小野も引退。そして、稲本まで…。ベテラン記者としてはさびしい限りだが、あの天性の愛きょうと度胸があれば、今後の人生もきっと花開くはずだ。(93~99年サッカー担当・千田 篤史)