『クロウ/飛翔伝説』若き才能と悲劇が創った伝説のアメコミ映画
人生のドン底から生み出されたヒーロー
『クロウ』は原作から特殊な作品だ。アメコミと言えば分業制の制作スタイルで知られる。ストーリーを考える人、絵を描く人……専門家による分業が徹底しているのがアメコミの特徴とされるが、「クロウ」は原作者ジェームズ・オバーが全てを担当している。これは「クロウ」が商業作品として出発していないからだ。もともと『クロウ』はオバーが自分のために描いたものだった。いわば趣味の作品なわけだが……、「趣味」という言葉は似合わない、もっと切実なものだったという。 同作のDVD特典に収録されているオバーのインタビューで、彼は執筆までの経緯を語っている。オバーは「生まれたときに母親が泥酔していたから、自分の誕生日もよく分からない」という荒んだ環境に生まれ、幼少期は施設と里親のあいだを行ったり来たりの生活を過ごすことになった。そして孤独の中で幼いオバーは心を閉ざすようになっていく。どん底のような少年時代だったが、16歳の時に初めて恋人ができる。オバーは他人の粗にばかり目が行くネガティブ全開の少年に仕上がっていたが、その恋人は彼とは正反対の明るく、真面目で、どんな人間も良いところを見つけるような女性だったという。オバーは彼女と愛し合い、将来を約束する。ようやく幸せを掴んだかに見えたが……、彼女は酔っ払い運転の車に撥ねられて、帰らぬ人になってしまった。オバーは突然の不幸に耐えきれず、自暴自棄に陥る。それでもなんとか人生を持ち直し、その後は海軍に入ったり、自動車の整備工をしたり、懸命に生きた。 不幸まみれのオバーの人生だが、彼にはたった一つだけ少年時代からの特技があった。絵を描くことだ。子どもの頃から時間さえあれば絵を描いていたというオバーは、自動車の整備工として働きながら、漫画を描くことを思いつく。独学で学んだ絵、スーパーマーケットで買った安物の絵の具、おまけにすべて一人での作業。何もかもが通常の漫画の作り方から外れていたが、そんなことは関係なかった。自分の中に積もりに積もった怒りと悲しみを吐き出すための創作活動だったからだ。オバーは自分の好きなもので作品を埋め尽くした。Joy Divisionなどの曲から歌詞を引用し、キャラクターデザインも色々なミュージシャンを参考にした。好きなものを好きなように描く、それがオバーにとっての「クロウ」だった。仕事から帰宅しては、1日数コマずつ描き続ける日々が続けること数年……、1980年から始まった「クロウ」の執筆は、1989年に完成した。 運命とは不思議なものだ。完全に趣味で描かれた「クロウ」だったが、たまたま漫画関係者の目に触れるや、すぐさま発売が決まり、あれよあれよという間に話題になっていく。遂にはハリウッドから映画化の話まで舞い込んできた。刊行からわずか2年の出来事だった。しかし……、映画会社にオバーは呼び出され、こう伝えられた。「主演はマイケル・ジャクソンで行こうと思う」オバーは冗談だと思って爆笑したが、本気だと知ってキレた(実現していたら、それはそれで世紀の怪作になった可能性もあるが)。その後もクリスチャン・スレーターやジョニー・デップといった旬の若手俳優が候補に挙がったが、いずれも頓挫する。そんなときに現れたのがブランドン・リーと、監督を務めたアレックス・プロヤスだった。