大関・琴桜が初優勝 泣き虫が「鬼」になり、相撲一家悲願の初賜杯
大相撲九州場所で24日、東大関・琴桜(本名・鎌谷将且、佐渡ケ嶽部屋)が初の幕内優勝を果たした。祖父は元横綱、父は元関脇の「相撲一家」に生まれた27歳は、「猛牛」ともいわれた祖父の教えに向き合いながら鍛錬を重ね、悲願の初の賜杯を手にした。 【写真まとめ】大相撲九州場所14日目 「自分の相撲歴って実際は0歳からですよね。生まれたら目の前にありましたから」。相撲一家の3代目に当たる琴桜は自らの生い立ちをこう語る。 父に師匠の佐渡ケ嶽親方(56)=元関脇・琴ノ若、母方の祖父にはぶちかましからの押し相撲で鳴らし、「猛牛」と呼ばれた第53代横綱・琴桜の紀雄さん(2007年死去)を持つ。生まれた頃は、紀雄さんが師匠として佐渡ケ嶽部屋で父らを指導していた。琴桜も2歳の頃からまわしをつけて土俵に立った。 小学校へ通う際も雪駄(せった)で行こうとして、学校側から止められたこともあった。雪駄を好んだのは「大きな体の力士の姿が格好よかったから」。力士は憧れであり、相撲にも自然と夢中になっていった。 祖父には小学生の時から指導を受けるようになった。当時は理解しがたい言葉を浴びせられた。「厳しくなれ」「甘えを出すな」「鬼になれ」……。相撲を続けるうちに、相手に情けをかけることは「相手に失礼」「自分が墓穴を掘るだけ」など、自分なりに理解できる部分も増えてきた。 転機の一つは高校時代だ。全国屈指の強豪の埼玉栄高に進んで相撲部に入った。実家を出て寮で生活し、3年時には主将を務めた。父は「そういうタイプではない。主将だけは勘弁してください」と顧問に懇願した。だが、団体戦もある高校相撲で父は「一つの勝負への責任感、勝負強さが向上した」と成長を感じていた。 高校相撲を引退すると、15年11月の九州場所で既に父が継いでいた佐渡ケ嶽部屋から初土俵を踏んだ。新十両目前の幕下2枚目で臨んだ19年5月の夏場所では3連勝後に3連敗し、祖父の仏壇の前で涙を見せて手を合わせるなど「泣き虫」だった面もあった。だが、最後の相撲で勝ち越しを決めて十両昇進を果たした。 20年3月の春場所で新入幕し、今年1月の初場所後には大関に昇進した。新大関として臨んだ翌春場所は父のしこ名でもあった「琴ノ若」のままで相撲を取った。翌夏場所からは大関昇進が襲名の条件だった祖父の偉大なしこ名「琴桜」を継いだ。 取組では最後の仕切りで塩をつかむと、表情が一変して「鬼の形相」となる。琴桜は「力を入れるタイミングなので」と話すが、父は「先代(紀雄さん)の『鬼になれ』の教えを形にしているのでは」と察する。 琴桜は今場所、「心」と記された化粧まわしで土俵入りする日があった。後援者から贈られたもので、今後「技」「体」もそろう予定だ。化粧まわしの「三つぞろえ」といえば横綱土俵入り。露払いと太刀持ちを従える横綱を祖父は務めた。優勝インタビューでは涙はなく、「そろそろ優勝しないと先代にも怒られる」と話して笑いを誘った琴桜。来場所、いよいよ最高位に挑む。【林大樹】