役所広司がカンヌで最優秀男優賞『PERFECT DAYS』は小津安二郎の『東京物語』のオマージュ。役所さん演じる平山を見て私たちは満ち足りる
◆今の日本に見つけることがいかに困難か この映画で「理想のひと」として描かれる平山以外の人物を見てみるがいい。平山の丁寧な職務態度を揶揄し、キャバクラ嬢をモノにすることしか考えない若者。勿論彼にも盲目の子どもに優しかったり、愛すべきところもあるのだが、総じて褒められた姿ではない。 平山が迷子の子どもの手を取って親を探していると母親が現れ、礼も言わずに子どもを奪い返す。そしてまるで子どもが汚いものを触ったかのように、その手を除菌アルコールティッシュで拭いて去った。平山の妹もあからさまに平山の仕事を卑しいもののように見下す。平山は「聖なるもの」であると同時に「穢れ」として描かれる。 勿論愛すべき人物も沢山現れる。小さな古本屋で自分の居場所に満足しているおしゃべりな店員。平山の姪は権威主義的な母親に反抗して家出したらしく、平山の仕事を進んで手伝う。物語の時々に出現する田中泯演ずる浮浪者は、何か神聖なるものを思わせる。 ヴェンダースは私たち日本人以上に「かつて日本にあった日本的精神の美」「仏教や禅の価値観、美意識」に憧れ、学んだのだろう。しかしそれを今の日本に見つけることがいかに困難かを、この映画で描こうとしたのではないか。 だから、ドアがオートロックのようでも気にせず、自販機に直行することに拘り、筋が破綻していても気にしない。それよりもカセットテープを巻きなおしたり、新聞紙で畳を掃除したり、そういう「細部」に徹底的に拘った。「そういう不便さの中に、人生の大切な物や美が宿る」と言いたげに。
◆タイトルに騙されてはいけない 見終わった後の爽快感と『PERFECT DAYS』と言うタイトルに騙されてはいけない。彼が見たのは完全なる日本精神の喪失だったのではないか。小津安二郎は1930年代から既に日本の「家族」と「精神」の崩壊を予見していた。今はそれから約100年。 『PERFECT DAYS』は、「日本精神崩壊の完成」を描いていたと将来語られることが無いように、私たちは直ぐにも失われたものを取り返すべきなのではないか。 私はまだ間に合う、と思っている。戦後の間に合わせの、「もの」と「便利さ」に偏った日本を冷静に見つめる目を持つならば。自ずと世界との対話の糸口は見いだせる。便利さや快適さ、見せかけの豊かさの対極にある西洋の憧れ、「幻想としての日本の美」を私たちが取り戻すことができるならば。 P.S. ドイツの監督にここまで日本を理解していただくと、「悔しーっ」という気も致しますが、ヴェンダースの日本愛は本物だと思います。彼の警告に応え、日本の文化を取り戻せたら素敵ですね。
さかもと未明