「人がちがう!」「僕は一人でやってるの!」認知症の人の”不可解な言葉”に隠されていた「本当の気持ち」とは
「ちがうんだよ」と騒いでしまう理由
デイで「ちがう」としきりに口にしていることがわかります。 「晋さん、どうしたの、何かあったの?」 「僕はひとりなんだよ」 「いったい、何が『ちがう』の?」 「僕は今までの僕とはちがうんだから、わかってほしい。相手の言うことを一生懸命理解しようとすると、頭が疲れてきて、何が何だかわからなくなる。わかるように話してほしい」 「『場所がちがうんだ、やめてくれ』っていうのは、どういうこと?」 「場所が我が家とちがったり、知らない人に何か言われても、さっと理解できないし、言葉が出ない」 ゆっくりとではありましたが、晋が理路整然と説明することに、私は驚きを隠せませんでした。このとき彼から聞き取ったことを私なりにまとめると、次のようになります。 「自分は理解力が落ちている。だから、自宅を離れてデイに行き、よく知らない職員に声をかけられても、わかるまでに時間がかかる」 問題が起こった時期、晋は週2回のペースでデイに通っていました。そんな頻度で顔を合わせる職員であっても、いつも初めて会う気がするらしいのです。だから5ヵ月たった時点でも「まだ人と場所に慣れない」のでした。
自分がわからなくなる恐怖
「僕はひとりでやっているの」というのは、「僕は僕なりに一生懸命、やっているんだよ」と言いたかったようです。 よく知っている人でも、たまに会うと〈あれ?誰だっけ?〉となるし、誰だかはっきり思い出すまでには時間がかかるそうです。 電話に至っては声しか聞こえませんから、顔を見るよりさらにわかりにくくなります。だから電話には出たくない、といったことまで話してくれました。そして、いろいろなことが続いて、自分で自分がわからなくなると、つい「うるさい!」と大声が出てしまうそうなのです。 こんなふうに内容を整理していくと、細かな出来事も含めていろいろなことが見えてきました。事の発端は、デイで晋が大きな声を出すので、頭にきた別の利用者が怒鳴り返したことだったようです。晋も、そしてほかの利用者やデイの職員も、みんな限界だったのかもしれません。 「もうやめよう」 私が言うと彼もうなずいたので、こうして2つめのデイも去ることになりました。
若井 克子