“男性特有の匂いが嫌い”や“おじさん詰め合わせ”は「差別発言」指摘も…男性への「ヘイトスピーチ」とはいえない明確な理由
「男性に対するヘイトスピーチだ」と主張することの問題
それでは、「男性に対するヘイトスピーチだ」という言説についてはどのように判断すべきだろうか。 堀田准教授は、言葉をどう使うかは法律や他人が強制できないという意味で自由だとしながらも「自由には責任が伴う」と指摘する。 「社会的マイノリティ集団に対するヘイトスピーチと『日本人』や『男性』などマジョリティへの侮蔑や攻撃を同等のものとして扱う人には、以下のような問題があります。 (1)ヘイトスピーチという言葉が要請された経緯と現実の社会状況を知らない (2)知っていて、あえて無視している (3)『社会的マイノリティ』という存在自体を否認するような態度をもっている いずれにしても、その人は、社会的マイノリティに対するヘイトスピーチの深刻な害悪を軽視する立場に立っていると見なされるでしょう。そう見なされてもよい、と本人が思うならば、『男性に対するヘイトスピーチだ』と言えばいいのではないでしょうか」(堀田准教授) なお、実際には「男性へのヘイト」と主張する人の多くの場合が(1)に当てはまり、社会的マイノリティへの差別の歴史と現状について知識をもっていないのだろう、と堀田准教授は語る。 「私自身も、マイノリティへの差別について最初は無知でした。でも、知識がなければ、これから勉強すればよいと思います。 一方で、差別の歴史や現状に関する知識をもったうえで、例えば、『二足歩行で歩くな、チョンコの分際で』とか『ウジ虫韓国人を日本から叩き出せ』、『朝鮮人は保健所で処分してもらいましょう』などの発言と、男性に対する『男はクズだ』『おっさん臭に耐えられない』などの発言を『どちらもヘイトスピーチだから、まったく同等に悪い』と主張する男性もいるかもしれません。 仮にその理由を問われて、その人が『男はクズだなどと言われて自分は深く傷ついたからだ』と言うとすれば、私は、その人と話すのは時間の無駄だと思います。というのも、そのような人は他者の境遇への想像力が著しく欠けており、自分または自集団の『被害』を過大評価している、いわば自己批評性を欠いているので、まともなコミュニケーションが期待できないからです」(堀田准教授)
弁護士JP編集部