持ち味薄れた?「孤独のグルメ」特別編への違和感。「マンネリ」こそがドラマの持ち味だった
■マンネリこそが持ち味だった しかし、『孤独のグルメ』に関しては、そのマンネリこそ視聴者が心地よく気楽に楽しむことができる持ち味であり、それが若い世代をはじめ幅広い層の心を掴んでいる。だからこそ、シーズン10まで愛され続けてきた。 お腹を空かせた井之頭五郎が街の名もない料理屋に入り、ただお腹いっぱいおいしい料理を食べる。それだけでいい。それだけの情報量のストーリーと、深夜30分(放送開始当初)のテレビドラマという枠がパッケージとなって『孤独のグルメ』が成り立ってきたのだ。
それをいま変えようとするのは、本作のプロデュースに参画する松重豊の意向が大きいのかもしれない。 シーズン10をひと区切りとして、さらなる未来への継続性の担保のために、作品を広げようとしているのであれば、従来のフォーマットから新規性を探ることは十分理解できる。そこには、松重豊および制作陣のシリーズへの愛の深さが表れている。問題はそれがファンにどう伝わり、どのように評価されるかだ。 もう1つ気になるのは、『劇映画 孤独のグルメ』(2025年1月10日公開)だ。これまでにも2時間枠のスペシャルドラマを年末年始に放送してきており、劇場版でテレビシリーズと同じことをやれば、ファンは当然「テレビでやってほしい」となる。
チケットを購入して映画館のスクリーンで見る意義のある作品性がなければ、ファンにとってフラストレーションになるだろう。テレビ局のビジネスのためだけの劇場版と思われれば、ファン離れを引き起こす可能性もある。 また内容的にも、劇場版は冒険物語の要素があり、ラブストーリーも盛り込まれる。作品への愛が強く、サービス精神が旺盛な松重豊が監督、脚本、主演を務めるだけに、従来のストーリーからの新機軸を目指す、脱マンネリの方向性がより色濃くにじむことも予想される。
映画はその評価が興収という数字で残酷なまでに目に見えて表れる。そこで今回のドラマと劇場版へのファンの評価が世の中に示されるだろう。 ■特別編と劇場版を経たこれから ただ、今回のドラマは特別編と銘打っており、劇場版とあわせて、本来のシリーズのスピンオフと捉えることもできる。この2作がパイロット的な位置づけであり、末永いシリーズ継続のための布石となるのであれば、その結果を踏まえた次作は、ファンのニーズに寄り添うものになることが期待される。