なぜ災害のたびに「迷惑ボランティア」が“批判”されるのか 日本にはびこる「冷笑主義」の正体
「シニシズム」がはびこる、日本という国
――日本では、外国に比べてボランティアが批判されやすいのでしょうか。 津田教授:慈善に対する批判、というのは外国にもあります。「慈善行為は相手を助けるためではなく、自分たちが気持ちよくなるためにやっているんだ」として慈善や福祉を批判する議論などです。 ただし、ヨーロッパやアメリカなどではキリスト教などに基づく「宗教的な奉仕活動」が長らく行われてきました。そのため、「贈与」を正当化できる土壌があります。日本にはその土壌がないので、欧米に比べてもボランティアが「偽善」「売名」と批判されやすくなります。 このことはボランティアに限らず、NPOが批判されやすい原因にもなっています。たとえば、2022年頃から若年女性支援団体の「一般社団法人Colabo」が盛んに批判されていますよね。そしてColaboに対する批判の論理も「公金をかすめ取っている」「政治活動に若年女性をオルグしている」など、純粋な「支援」であることを否定してネガティブな動機を見出すものです。 つまり、Colaboに対する批判も、これまで行われてきたボランティア批判の延長線上にあるといえます。 政治学や社会心理学では、他人の行為を解釈するときに「利己的な動機」を読み込もうとすることを「シニシズム(冷笑主義)」と呼びます。ボランティアやNPOに対してはこのシニシズムが向けられやすい。 シニシズムは「敵対的な状況」で発生しやすくなります。利害や意見が対立して敵対している相手がいるときには、相手側の動機を「利己的なものだ」と解釈することで、相手側の正当性を否定しやすくなるためです。 いまのTwitter(現X)ではあちこちで党派的な対立が起こっていますよね。Twitterのような環境でシニシズムが蔓延することは避けられません。 ――海外よりも日本でボランティアが批判されやすい背景には、宗教的な要因だけでなく、日本人が「正しさ」や「善」「正義」といったものを疑いがちな傾向も関係していると思います。 津田教授:日本では「正しさ」や「正義」が個人のレベルに還元されてしまう傾向があります。つまり、個々人の良心の内側に留まらない、社会的なレベルでの「正しさ」や「正義」に対する信頼が非常に弱いのです。海外からそういった概念が輸入されてきても、すぐに形骸化してしまう。 Twitterなどでは「正義の暴走」というレトリックが盛んに言われていますよね。また、流行歌などでも「正しさなんてどうでもいいんだ」というメッセージが込められていることが多いです。 個々人から切り離された「正しさ」という概念が理解されづらいことが、ボランティアやNPOへの批判にもつながっているでしょう。