元日経記者でAV女優…芥川賞候補2度の作家「“くだらない女”である私を聖人にしたい人の善意の裏の不気味」
■何かを守ろうとする善意も悪意や敵意と同様に危険だ 地味な人文書を一冊出しただけだった私の名前が突然インターネットなどで散見されるようになった時期があった。きっかけは週刊誌に載った「日経新聞記者はAV女優だった!」という趣旨の記事で、いくつかの夕刊紙が追いかけ記事を書いたり、夕方のワイドショーで読み上げられたりしたこともあって、少なくとも当事者の私はひと月ほど落ち着かない日々を過ごした。 とはいえ、追いかけ記事はともかく第一報である「週刊文春」の記事には私がざっと確認する限り大きく事実誤認と思われるような箇所はなく、基本的に私や親の経歴が淡々と書かれ、それについて特に批判的なスタンスというわけでもなかったので、怒ったり反論したりする余地があるかというと微妙で、基本的に黙って世間が話題に飽きるのを待つことにしていた。 気にならないと言ったらウソになるので、じっとしている間にも当時まだ使い方がよくわかっていなかったTwitter(現・X)などで関連のつぶやきなどを探したり、自分の名前を検索してみたりしたのだが、途中からやけに私に好意的な「味方」のような人々が増えたことが気になった。 面識もない匿名のアカウントなどが主なのだが、「職業に貴賎なし」的なスタンスでプライバシーに踏み込む週刊誌報道を批判するのはまだ序の口。徐々にエスカレートしてきて、AV女優があたかも大変立派な職業であり、自由に自己表現する場としてそれを活用する女性を週刊誌が下世話に消費するとは何事、性産業従事者の一部の女性はプライドとポリシーを持って従事しているのであって、そんな女性がその後新聞記者をしたからといって差別していいわけはない、などと怒り出すアカウントもいくつか見受けられた。 私が何度か読み返した限り、週刊誌に登場する「元同僚」や「関係者」も別に私に差別的な発言をしているとは思えなかったのだが、いずれにせよ私は一部のフェミニストやセックスワーカー系団体にとって擁護すべき対象と見なされたらしく、本人としては些か奇妙な気持ちでそれを眺めることになった。 性産業従事者の一部の女性にプライドとポリシーのある労働者がいることを疑いはしないが、少なくとも私はAV嬢時代の選択に特に崇高なプライドもポリシーもなかった。スカウトにそそのかされるまま何となく惹かれて入っていった業界で、それなりにちやほやされる時期を楽しみ、ホストクラブなどで湯水のようにお金を使っていたせいでお金がたまらず、なかなか抜け出すタイミングがなかった。 そういうくだらない女である意識が強いだけに、盛り上がっていく擁護論の中で、まるで私が意志とプライドと強い職業意識を持ったAV女優であったかのように仕立て上げられていくのは不気味でしかない。味方してくれる人には悪いが、彼らが日ごろから主張したいことのために、あたかも私のスキャンダルと私の経歴が利用され、私の実在とは関係のない声が代弁されているとしか思えなかった。 これは私が、人が何かを守ろうと必死に論を展開するとき、事例となる実在の人物を過度に聖人であるかのごとく祭り上げてしまうことがある、という事実を自ら目の当たりにした経験である。当然、当時からもっと下衆な視点で揶揄されたり、一部の人が性産業従事者に向ける剥き出しの嫌悪感を投げつけられたり、ミソジニー的な言葉を投げつけられることはあった。 ただ、それらが明らかに悪意や敵意を含んでいるのに対し、基本的に善意や味方したいという気持ちに立脚している言葉のほうがどこか危険な気がするのも確かなのだ。全く意図しない間に誰かを黙らせたり、本来の声を奪って別の何かになることを強いたりしてしまう気がするから。