18歳が抱えた重圧…敗退なら「降りられない」 素直に喜べなかった悲願の甲子園
甲子園初戦は自身の美技もあって初戦突破…8強に進出した
ところが、ここからものすごいプレッシャーに襲われたという。「銚子商は夏の甲子園では1回戦で負けたことがないという伝統があって、負けたら銚子の駅に降りられないらしいぞ、大変だぞって話になった。みんなで『1回戦負けだけはまずいぞ』って。春(1976年選抜)は報徳学園に0-16で負けたことがあったけど、夏はないってね」。1976年選抜大会終了時点で銚子商は春は6度、夏は8度甲子園に出場。初戦成績は春5勝1敗、夏は全勝だった。 そんな中で、高松商との初戦(2回戦)を延長14回の激闘の末、5-3で制した。「その試合はホント、危ない、危ない、危なかったのよ」と宇野氏は声のトーンを上げた。2点リードの9回裏に追いつかれての延長戦。「その時に俺が三遊間の深いゴロを捕ってファーストでアウトにした。セーフだったらサヨナラ負けだったのかな。そのプレーをプロのスカウトが評価してくれたって、後で聞いたよ」。 負けられない重圧の中で、必死のプレーがプロへの道もたぐり寄せたのだから宇野氏にはなおさら印象深いものになっているのだろう。「1勝したら、みんな気楽になった。ここからは楽しんでいこうよって感じでね」。3回戦は東海大一(静岡)を4-1で破った。準々決勝は初出場で優勝を飾った桜美林(西東京)に2-4で敗れたが「号泣とかさ、そういうのはなかったよ。泣いているヤツいたかな、いなかったんじゃないかな。もし初戦で負けていたら泣いていたと思うけどね」。 銚子商はその後、1985年夏の甲子園大会で初めて初戦敗退。2005年夏を最後に甲子園から遠ざかっているが、宇野氏にとって伝統校のプレッシャーと闘った高校最後の夏はかけがえのない思い出だ。「『桜美林? 知らねーよ。どんな高校だよ』なんて、みんなで言っていて、そこにコロっと負けちゃったんだけどね。でも、その年は桜美林が優勝でしょ。救いはそれだったね」と笑顔で振り返った。
山口真司 / Shinji Yamaguchi