タワマンは元々「憧れの家」ではなかった…”初期タワマン”の住人に向けられた意外な視線
出せば完売、売れば高額。タワマンブームが終わらない。庶民は手が出せない代物なのに、いったい誰が買っているのか。バブルは弾けるのか。タワマンのいまと未来、天国と地獄を覗いてみる―。 【一挙公開】全国の「激安タワマン」30はこちら…!
タワマンのイメージ
不動産の悩みを解決するサイト「URUHOME」が'24年7月に実施した調査によると、「タワマンに住んでみたいですか」との問いに、500人中8割が「住みたくない」と回答したという。 「住むための費用がかさむ」という理由のほかに、「住みづらそう」という漠然とした答えも挙がったが、心の奥底では「タワマンの住人はいけ好かない」「成金のイメージ」という意識があるのだろう。 ネット上では毎日のように「タワマンで失敗した人の末路」のような記事があがり、人気コンテンツのひとつとなっている。いつから日本人はこんなにも「タワマン嫌い」になったのだろうか。 消費社会における文化や暮らしについて研究する貞包英之・立教大学教授によると、「タワマンが日本に建ち始めてからしばらくの間は、それほど嫌われていたわけではない」という。
初期は庶民のものだった
日本最初のタワマンが建てられたのは'76年。いまも埼玉県与野市(現・さいたま市)にある、21階建ての「与野ハウス」がそれだ。その後、'00年に至るまでに、首都圏には約120棟のタワマンが建てられたが、この頃のタワマンは「富の象徴」というより、むしろ大衆的な住宅だったようだ。 「今のようにタワマンが東京のあちこちに建つ頃までは、サラリーマン世帯が東京の中心部で普通の住居を見つけることは困難でした。 東京の中心部に住むのは、もともと下町に住んでいた人や、お屋敷に住んでいた人など、ある種の既得権益を持っていた人がほとんど。それ以外の人は小さな、そしてあまり設備の整っていないマンションか戸建てに住むしかなかった。都心の住環境はそんなに恵まれておらず、だから多くの人は郊外暮らしを選択したのです」(貞包氏) 地方から東京に出て働き始めた若者が、結婚して家族で住む場所を探したとき、都心部には快適で暮らしやすい住居は少なかった。そんなニーズをくみ取って、東京にちらほらとタワマンが建ち始める。 こうした「初期タワマン」に住む人々への視線は、羨望や妬みというよりは、「東京で暮らすには、タワマンぐらいしかないもんね」という同情に近いものだった。 それが2000年代以降、風向きが変わる。『日本人がタワマン嫌いになった決定的瞬間…それでもタワマンに投資し続けるワケ』で解説する。 「週刊現代」2024年11月16日・11月23日合併号より
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