「グラディエーター」でラッセル・クロウの闘志をかきたてたひと握りの土
体調を崩してしまったり、急に仕事が忙しくなってしまったり、あるいは何らかのやむにやまれぬ事情があったりして、どうしても見たい映画を諦めざるをえず、結果的に長いあいだ思ったように映画が見られないことがある。すると、いざ状況が解消して、ひさびさに見ることができるとき、何を見るかに必要以上に考え込む。ふさわしい映画は何か? 【写真】異彩をを放つ策略家の奴隷商人マクリヌス(デンゼル・ワシントン) 「グラディエーターII 英雄を呼ぶ声」の一場面 要するに、つい先日、私自身がそんな状況に陥っていたわけなのだが、幸いなことに格好の映画が上映されていた。驚くべき24年後の続編「グラディエーターⅡ 英雄を呼ぶ声」公開を前にしての、「グラディエーター」(2000年)デジタルリマスター版再上映だ。筆者は1997年生まれだから、いうまでもなく公開当時に劇場では見ていない。有名作ではあるけれどそう頻繁に上映されるというわけでもなく、以降なかなか劇場で再見する機会もなかろうと、足を運ぶことにした次第。すでに再上映は終わってしまっているのだが、続編公開前に見直していただければうれしい。各配信サービスでも鑑賞は容易である。
長い、しかしシンプルな復讐譚
久方ぶりに「グラディエーター」を見直しての第一印象は、まず長いということ(上映時間155分)。そして、にもかかわらず内容がシンプルきわまりないということだった。ラッセル・クロウが演じるローマ帝国の将軍が陰謀に巻き込まれ妻子を殺され、自らも失墜、奴隷身分にまで転落するが、復讐(ふくしゅう)を誓い、剣闘士となる──基本的な内容はこれだけといっていい。おそらく、その気になれば80分で描き切ることもできそうな復讐譚(たん)である。 しかし、前述の通り本作はてらわなすぎるほどてらわない。どこまでもシンプルなのだ。見せ場はもちろん、巨大な円形闘技場コロセウムでの一騎打ち。これも企画の規模を踏まえると少々不思議で、捉えようによっては広大な闘技場でたった2人が戦っているスケールの小さい出来事とも言えるわけで、数万人の観衆の視点に立てば豆粒大の争いということになる(現代のように、会場にモニターなどないのだし)からおかしいのだが、もちろんこれは必ずしも欠点というわけではなく、遠目にはいささか滑稽(こっけい)な事態でもあり、そのいっぽうで至近距離では命がけで真剣そのものという差異こそがむしろ見どころと言える。この規模や長尺と単純さのずれが、本作の形容し難い面白味になっている。