ホンダの世界戦略車「シビック」はどのようにして世界一厳しい米国排ガス規制“マスキー法”をクリアしたのか?【歴史に残るクルマと技術039】
世界戦略車として燃費と走りを両立したコンパクトカー
シビックは、世界市場に進出することが前提の世界戦略車として、“俊敏なベイシックカー、世界の街にスタート!”のキャッチコピーとともに登場した2ドアファストバックのコンパクトカーである。 見た目よりも車高が低く、エンジン横置きFFレイアウトの優れたパッケージングと、ホイールベースを延長して室内空間を確保した、当時のコンパクトカーの流れを先取りしたクルマだった。 ホンダCVCCの詳しい記事を見る 発売当初のパワートレインは、69psを発生する1.2L直4 SOHCエンジンと4速MTの組み合わせ。特にハイパワーエンジンではなかったが、車重が600kgと軽量なので、低燃費と小気味よい走りの両立を実現。1973年には、米国に輸出され、燃費も良くきびきび走るシビックはたちまち人気モデルとなった。 車両価格は、42.5万円(スタンダード)/47.5万円(デラックス)。ちなみに、当時の大卒初任給は5.6万円程度(現在は、約23万円)なので、単純計算では現在の価値では175万円/195万円程度であり、このリーズナブルな価格設定も人気に拍車をかけた。
ホンダとシビックの名を世界に知らしめることになった「米国マスキー法」
マスキー法とは、正式には「米国大気浄化法改正案」のことで、エドマンド・マスキー上院議員が提案したことから、その名が付けられた。1970年に、この改正案は両議院で可決され、その年の12月31日にニクソン大統領の署名によって制定された。 その内容は、1975年以降に製造される自動車の排ガス(NOx、HC、CO)を、1970~1971年基準の90%以上減少させるという、当時としては実現不可能と思えるような厳しい規制だった。 世界一大きな市場である米国で規制が施行されれば、米国での販売が困難になる恐れがあると世界の自動車メーカーを震撼させることになった。 ところが、米国の自動車メーカーがマスキー法の達成は困難と強く主張し、実際の施行については紛糾。内容の修正が続き、1973年には実質的な廃案状態に追い込まれた。メーカーの大反対に加え、1973年に起こったオイルショックが規制廃止の追い風になったのだ。 一方日本では、マスキー法と同レベルの排ガス規制を段階的に導入。1978年には、マスキー法と同レベルの厳しい“昭和53年排ガス規制”が施行されることになった。
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