ホンダの世界戦略車「シビック」はどのようにして世界一厳しい米国排ガス規制“マスキー法”をクリアしたのか?【歴史に残るクルマと技術039】
独自の燃焼方式CVCCの急速燃焼で排ガスを低減
ホンダは、EPAの正式な認可を受ける前の1973年10月に、新しく開発された低公害CVCCエンジンの発表を東京・赤坂プリンスホテルで大々的に行った。発表当日、本田宗一郎社長ほか関係者が出席し、国内外の多くのジャーナリストを前に、CVCCエンジンの開発過程やエンジン性能、燃焼理論が紹介された。 新開発のCVCC(Compound Vortex Controlled Combustion:複合過流調整燃焼方式)エンジンは、副室を持つ燃焼室で構成され、副室で燃焼した火炎がトーチノズルを通して主燃焼室に噴流となって噴出する。この噴流が主燃焼室に強い渦流を発生させ、安定した希薄な混合気の燃焼が成立することにより、有害成分のNOx、HC、COが低減できるのだ。触媒などの特別な排ガス低減システムは不要で、エンジンのシリンダーヘッドの交換のみで対応できることも大きなメリットである。 その年の12月には、米国EPA(環境保護庁)による立ち合い試験が行なわれ、マスキー法適合車第1号として正式に認められた。マスキー法によって、ホンダとシビックの名は世界に轟き、2輪に続いて4輪でも“世界のホンダ”の名声を得たのだ。
日本車躍進の契機となった排ガス規制とオイルショック
1973年のオイルショックとマスキー法により、ユーザの目は燃費の良いコンパクトカーに向けられた。シビックは、燃費の悪いビッグサイズの米国車の2倍以上の燃費を達成し、米国で最も燃費の良い、そしてクリーンなクルマの称号を獲得。シビックの米国販売は、1947年に4.1万台、1975年に10.2万台に達し、ベストセラー・コンパクトカーの座を手に入れたのだ。 一方、日本では廃案同然となったマスキー法と同レベルの排ガス規制を1973年から段階的に導入。1978年にはマスキー法と同レベルの“昭和53年排ガス規制”を施行。しかし、日本メーカーはCVCCエンジンに続いて独自の排ガス低減技術を開発し、厳しい規制をクリアした。 シビックに続いた日本のコンパクトカーは、品質も優れていることから自動車大国の米国で高い人気を獲得。一方で煽りを受けた米国ビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)の業績は悪化し、日米の貿易摩擦に発展することになったのだ。
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