「お前、悲しくならないの?」クビ宣告→家賃2万、ギリギリ極貧J3生活「王様キャラだった自分が…」U-17W杯で世界デビューした“エリート”の挫折
国際試合のピッチはじつに11年ぶりだった。しかし、ユニフォームの色は違う――先月、シンガポール代表デビューを果たした仲村京雅(28歳)は、かつて世代別日本代表として活躍したテクニシャンだった。将来を期待されながらも、日の目を見ることなく、日本を旅立った理由とは? サッカーエリートの挫折と再起を追った。〈NumberWebインタビュー全2回の前編/後編に続く〉 【当時の写真】「板倉も鎌田もいない…」U-17W杯で“7番”を背負った仲村京雅(2013年)シンガポール代表になった現在と比べて見る 「Kyoga Nakamura」 シンガポール代表のメンバーに、懐かしい名前を見つけた。 仲村京雅、28歳。2013年にUAEで行われたU-17W杯に日本代表の一員として出場していた。 11月14日、ミャンマーとの親善試合に出場した仲村は、実に10年の時を超えて再び国を背負う緊張感を楽しんでいた。この3週間前に帰化が成立したばかり。これがシンガポール代表としてのデビュー戦だった。 「奇妙というか、数奇な人生というか。正直、高校まではこのままプロで活躍して、世界でプレーして、W杯に出る人生を思い描いていました。自分ならやれると思っていましたし、でも、そんなに甘い世界ではなかったですね」 日の丸を背負って世界と戦った、いわばサッカーエリートは、理想と現実の間に生じる葛藤を乗り越え、まるでジェットコースターのようなキャリアを歩んできた。
U-17W杯でベスト16進出の原動力に
千葉県船橋市で生まれ育った仲村は、地元の強豪クラブであるVIVAIO船橋SCで小中時代を過ごした。小柄だったが、優れた俊敏性と抜きん出た技術で頭角を現すと、中学時代は3年連続でナショナルトレセンに選ばれるなど、この世代を代表するプレーメーカーの一人に成長した。 その後はジェフユナイテッド千葉U-18に進んだ。前述の通り、高2時にU-17日本代表としてW杯に出場。鈴木徳真、渡邊凌磨、三竿健斗、三好康児らと共に世界と渡り合った。 この大会で背番号7をつけた仲村はグループリーグ第2戦のベネズエラ戦、第3戦のチュニジア戦にスタメン出場。スウェーデンと対峙した決勝トーナメント初戦でも先発のピッチに。惜しくもベスト16で敗退となったが、躍進の原動力になった。 「世界のレベルの高さに驚きました。もっと判断スピードやプレースピード、フィジカルの強さなどを上げていかないと、この先世界では通用しないなと思った。でも、この年代で世界を知れたのは大きかった」 しかし、ここから仲村はもがき苦しむことになる。 2015年、ジェフ千葉のトップチームに昇格。オリンピック、W杯を目指して羽ばたく存在として期待されたが、試合に一切絡めない日々が続く。 「王様キャラだった自分の自信が一気に崩れ去った1年でした。ユース時代は自分に強く言ってくる人間はほとんどいなかったのに、練習ではミスを連発して、その度にきつく言われて……初めてサッカーをするのが怖いと思ってしまった」 練習に行くのが怖い――理想とは違うプロ生活に苦しんだ仲村は、逆流性食道炎を患うなど精神状態が体にも影響を及ぼすようになった。恐怖心から逃れようと「1年目なんだから仕方がない」と自分に言い聞かせるのがやっとだった。 「当時、佐藤勇人さんや富澤清太郎さんなどの30代のベテランが走って、強度も高いプレーをする姿を見て、学ぶよりも『自分も経験を積めば将来はこうなれるだろう』と思ってしまい、『いま戦うんだ』というマインドではなくなってしまっていたことが、僕が落ちていったサッカー人生の分かれ道だったと思います」
【関連記事】
- 【つづき→後編】「ガンで逝った従兄弟、事故死した友のために」元“崖っぷちJリーガー”がシンガポール代表になるまで「板倉や鎌田がA代表に…自分は何してるんだ」
- 【当時の写真】「板倉も鎌田もいない…」U-17W杯で“7番”を背負った仲村京雅(2013年)この世代って他に誰がいた?
- 【あわせて読みたい】逮捕報道から4カ月…佐野海舟はドイツで今「めっちゃいい。海舟がかなり回収してる」板倉滉も認めた10戦連続先発の理由「日本代表スタッフも視察」
- 【舞台ウラ】「俺んち、泊まれば?」遠藤航に密着TVディレクターは見た…リバプールで愛されるまでの“壮絶な1カ月”「ファウルしないとかあり得ない」
- 【消えた天才】「お酒に逃げた」25歳で引退した堂安律の“元相棒”が初告白…“遠藤保仁の後継者”と呼ばれた天才パサーの後悔「なんであんな行動したんやろ」