ネズミが収容者の体を食べようと…シリア”拷問刑務所”で3年半収容された男性が語る「地獄の日々」
ブランケットをほどいて首を吊ろうと…
「2平方メートルの区画の中に、6人の囚人が収容され、順番に拷問を受けていた。両手を天井から吊られ、つま先立ちで3時間~4時間耐えるものから、両手・両足を縛られた状態で鞭打ちに耐えるものまであった」 巨大な黒煙が…「レバノン空爆」″地獄の光景″【写真】 険しい顔で話すのは、シリアの首都・ダマスカス出身のバセル氏(38)だ。12月8日にシリアのアサド政権が崩壊したのを受け、ダマスカス郊外にあるアドラ刑務所から約3年半ぶりに解放された。 薬剤師だったバセル氏は、ダマスカス市内にある難民シェルターに医薬品などを提供していた。 廃校となった校舎がシェルターとして利用され、シリア各地から逃れた避難民が身を寄せ合って暮らしていた。バセル氏のような近隣のボランティアのほか、外国の人道支援団体、自由シリア軍をはじめとする反政府勢力が支援を行っていた。 だが、それらの活動を政府側は問題視し、バセル氏は「テロリストへの資金援助を行った」罪で逮捕された。複数の留置所を転々とした後、2021年に禁錮21年6ヵ月の実刑判決が下され、12月8日に解放されるまでの約3年半にわたってアドラ刑務所に収容された。 「暴力は日常茶飯事だった。抵抗すれば、もっとひどい目に遭うことが分かっていた。われわれは、ただ静かに耐えるのみだった」 バセル氏は自身が薬剤師だったことから、刑務所内の診療室で他の収容者のケガや病気を治療することもあった。拷問による負傷者はほとんど放置されるが、意識不明の収容者や、歩けないほどの重傷を負った人は診療室に運ばれてきた。 毎日のように、あらゆる症状を訴える囚人たちを治療した。中でも最も痛ましいケースは、自殺未遂者だったという。 「ブランケットをほどいて紐状にし、首を吊って命を絶とうとする人が大勢いた。アサド政権の崩壊を夢みる余裕のある人はいない。みんな、絶望に打ちひしがれていた」 バセル氏自身も、何度も自殺を考えたという。だがイスラム教では“自殺者は地獄の業火に焼かれる”とされている。同氏にとっては、目の前の恐怖よりも、地獄へ行くことへの恐怖のほうが大きかった。 ◆ねずみが収容者を食べようと… 「通常は幅10メートル、奥行き3メートルの30平方メートルの部屋で過ごす。本来の収容人数は32人だったが、そこに80人が詰め込まれた。冷たいコンクリートの上に、それぞれが調達したブランケットやタオルを敷いて寝る」 バセル氏は、刑務所の外にいる家族と連絡をとるため、看守に高額な賄賂を支払い、携帯電話を入手した。しかし、その携帯電話を使用していたところを他の看守に見つかってしまい、独房に連行された。 独房は幅2メートル、奥行き1メートルの約1畳。窓も寝具もない。独房とはいえ、収容人数に対して部屋数が足りなかったことから、その約1畳のスペースに6人が収容されていた。 部屋の中には穴があり、他の収容者の前で用を足す。手を洗うことも、シャワーを浴びることも許されない。 食事は、食器用洗剤が入っていた空ボトルの中に、腐りかけたゆで卵や麦、ヨーグルトなどがランダムに入ったものが1日1回配られる。 部屋にはねずみがいて、ねずみがお腹を空かせると収容者を食べようとすることがあった。ねずみの腹を満たすため、収容者らは配られた食事の一部をねずみにも分け与えなければならなかったという。 「気温が40度近くまで上る夏日に、あの狭い部屋に6人で暮らすのはほぼ自殺行為だった。蒸し暑く、水も十分に与えられないため、収容者らはみんなぐったりしていた」 バセル氏がこの「独房」で過ごしたのは、夏に10日間、冬に5日間の計2回。独房には44年にわたり刑務所に収容されてきた70歳の男性もいた。最年少は、わずか10歳の少年だった。 ◆看守が「囚人服をくれ」 バセル氏が受けた拷問は、主に2つ。1つはアラビア語で「シャバハ」と呼ばれるもので、つま先立ちの状態のまま、両手を天井から吊られ、3~4時間にわたり暴力を受けるというもの。 もう一つは「ホイール」と呼ばれるもの。両手を背中側に縛られ、体を二つ折りにした状態で車のタイヤのホイールが入っている部分に入れられて固定され、20分間ほど鞭打ちを受けるという拷問だ。 刑務所での辛い日々から解放されたとき、バセル氏は何を思ったのか。 「今でも、夢を見ているんじゃないかと思う。中にいるときは、アサド政権が崩壊するなんて想像もできなかった。禁錮21年半が言い渡されて、もう人生を諦めていた。妻や子どもたちが無事でいてくれさえすれば、何でもいい。ここで俺は死ぬんだって思っていた」 12月8日、イスラム教スンニ派主導の「ハヤト・タハリール・アル・シャーム(HTS)」や自由シリア軍などの反政府勢力が同刑務所に突入し、看守らの拘束や収容者らの解放を行った。 「私は、そのとき診療室にいた。外から、『アッラーフアクバル(神は偉大なり)』と叫ぶ声が聞こえた。すると看守らがやってきて、『囚人服をくれ』と言ってきたんだ。彼らは、囚人になりすまし、拘束を逃れようとしていた」 その看守らは後に、体のサイズに合わない囚人服を着ていたことから不審に思われ、反政府勢力によって拘束された。 「アサド政権が崩壊した喜びはもちろん大きいが、精神的なケアが必要な人がたくさんいる。自分と同じ目に遭った人たちへのサポートができたらと思っている」 取材・文:鈴木美優(ジャーナリスト)
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