61歳で先に逝った妻。生命力がなくなる中でも嘆くことなく明るい声で語り、笑って…ベストセラー作家の夫を驚かせた<あっぱれな最期>
◆最期までいつも通り過ごした妻 これまで読んだ小説や観た映画でも、死の宣告から死までを描く経緯はそのように描かれていたような気がする。 一例をあげるなら、黒澤明監督の『生きる』もまさに同じような経緯を描いていた。 市役所勤めの定年を間近にした男(志村喬が演じていた)は胃癌で余命いくばくもないことを知り、絶望し、遊ぼうとしたり、自棄になったりした後、徐々に自分の死を受け入れていく。 妻はそのような様子をまったく見せなかった。 絶望している様子も煩悶している様子も見せなかった。涙を流すこともなかった。もしかしたら、人知れずイワン・イリイチのような思いを抱いていたのかもしれないが、少なくとも、そんな様子は少しも外には見せなかった。 私はセミリタイアしている身なので、ほとんどの時間を妻と同じ家の中で過ごした。不定期の仕事で出かけたり、コンサートを聴きに行くことはかなりあったが、基本的には仕事のほとんども自宅でしていた。 妻が元気な時は、妻が家事をし、元気がなくなると私が掃除、洗濯などをして、料理は出前やデパートの弁当、スーパーの総菜、冷凍食品などで済ませた。その間、私が死を前にしての妻の苦悩を目撃することはなかった。
◆決して人格者ではなく欠点も多い普通の人間だった 再発が発見されてからの7か月間。体力がだんだんと失われて、生命力がなくなっていく妻は本当につらく、苦しかっただろう。しかし、抗癌剤で苦しんでいる時を除いて、妻は大きな声でいつも通りの生活を送っていた。 いつも通り、明るい声で語り、笑っていた。闘病中の人間を持つ家庭は暗くつらいものだと思うが、その中でもそれほど暗い気持ちにならずに済んだのは、妻本人がずっと泰然とし平気な顔でいたからだった。 妻の姉にとっても、兄たちにとっても、妻の危篤は寝耳に水だったようだ。きょうだいたちは、妻の癌についてはもちろん知っていたが、電話で話をしても、嘆くわけでもなく、泣き言をいうわけでもなく、いつも通り明るい声で語るので、快方に向かっていると信じていたという。 友人、知人にもくわしくは話していなかったようだ。不自然に帽子をかぶっているのを見られた人には癌治療について話していたようだが、おそらく妻は深刻な様子を見せなかっただろうから、誰もがすぐに回復すると思っていたに違いない。 私を含めて、妻は誰にも死について嘆くことなく、苦しみを口にすることなく、あっぱれな最期を迎えたのだった。 だが、それにしても、なぜ妻はこのようなあっぱれな死を迎えられたのだろう。妻は達観した人間ではなかった。悟りを開いた高僧のような人格者ではなかった。 しばしば感情的になり、あれこれ当たり散らすこともある欠点の多い普通の人間だった。それなのに、本当にあっぱれな最期を迎えた。私は妻の最期に驚嘆し、なぜ妻がこのような最期を迎えることができたのか疑問に思うばかりだった。 ※本稿は『凡人のためのあっぱれな最期』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。
樋口裕一
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