教員「あの人とはわかり合えない」の前に必要な思考法、価値観が違っても対話を
レッテル貼りの罠
学校教育については、保護者や地域住民をはじめ、政治家、企業人、教育の専門家まで本当にいろいろな人がさまざまなことを言う。それだけ多くの人の関心が高い分野ということもあるが、学校現場からすれば「わかっていない」「もう放っておいてほしい」などと思ってしまうことも中にはあるかもしれない。だが、教育研究家の妹尾昌俊氏は「意見や価値観がちょっと違うと思ったときも少し立ち止まって吟味してほしい」と話す。現場の先生たちの経験値や専門性へのリスペクトも大切にしている妹尾氏からの提案に少しの間耳を貸してほしい。 【表を見る】学校以外の企業等で勤務経験のある教員の割合 「文部科学省は学校現場の窮状を、わかっているんですか?」 「教員の味方だと思っていたのに、あなたは文科省寄りの人ですか?」 「現場経験のない人には、わからないと思います」 私のごく限られた経験の範囲内での話になるが、こういうコメントをもらうことは、何度かある。 年間100回以上、校長や教職員などに向け講演や研修をしたり、ときどき飲みに行ったりもするので、それなりに学校の先生たちと話をする機会はあるほうだと思う。冒頭のようなコメントは、研修会などの比較的公式な場で聞くこともあるし、X(Twitter)などのSNSで現役の教員と思われる方からのときもある。 こうした不満が出てくるのは、これまでの政策や保護者・社会からの期待などによって、学校のやることが大したスクラップがないにもかかわらずビルド&ビルドで積み重なり、大勢の先生たちが疲弊しているからだろう。 そこは共感するし、解決に向けて、私もできることをもっと取り組みたいと思う。だが、いくつか疑問も湧く。 ・いつから、どういう意味で、文科省は学校の「敵」になったのか。 ・そもそも「敵」か「味方」かという単純な図式で、世の中の複雑な状況を理解してよいものだろうか。 ・経験がないから理解してもらえない、わかり合えない、という理屈(ロジック)は正しいのか。そうして対話や合意形成を安易に放棄してよいものか。 など 子どもたちの伸ばしたい資質能力として、「自分のアタマで考えられること」と述べる校長や教職員は多い。こういうことを書くと、また嫌われるかもしれないが、校長や教職員の中には、ちょっと立ち止まって考えること、批判的、論理的に思考することを飛ばしすぎている人もいるのではないだろうか?