投手再挑戦でエース格も…甲子園逃し呆然「これで終わるのか」 “想定外”で止まらなかった涙
2年秋から背番号1…3年夏は4強進出も延長13回惜敗
1985年の2年夏は西東京大会4回戦で中大付に8-9で負けた。「その試合、途中から僕が投げていて抑えていたんですけど、最後、上級生に代わったら打たれちゃって……。みんなは『お前が投げておけばよかったじゃん』とか言ってくれるんですけど、そんなことを言ってもしょうがないんでね」。2年秋からは背番号1のエース格になったが、秋はブロック予選決勝で八王子に敗戦。1986年の3年夏は西東京大会準決勝で日大三に敗れた。 「最後の夏は不思議と甲子園に行けるような気がしていたんです。負けるという意識がなくて、絶対行けるんだろうなって思っていたんですけどね」。初戦の中野工戦はチーム全体に緊張感が漂い2-1の辛勝だったが、その後は保谷を9-0、日大桜丘を8-1、拓大一を11-4と撃破。川尻氏も調子を上げ、準々決勝の国士舘戦は2-0で「完封しました」。しかし、準決勝で力尽きた。 7回表まで日大二が3-0でリードしながらその裏に追いつかれた。延長12回に3点を勝ち越したが、その裏にまた3点を奪われ、13回にサヨナラ負けを喫した。「両方ともサードのエラーが絡んで追いつかれたんですけどね。でも全力でやっているものはしょうがないんで、ミスは」と話したが、試合後は涙が止まらなかったという。「悔しいというか、不思議な気がしました。これで高校野球が終わるのかってね」。 小6の時から甲子園に行くために、突き進んできたのだから無理はない。「涙が枯れるまで泣いたと思う。もう出ないくらいまでね。家に帰っても抜け殻のようにボーッとしていましたから。でもそれで、何かすっきりしたようにもなったんですけどね」。次なる進路は大学1本だった。「早稲田に行きたかったんですけどね」。だが、その夢が結局叶わなかったことで、川尻氏の野球人生にまた違う流れができていった。
山口真司 / Shinji Yamaguchi