【追悼】幕張メッセやテレ朝本社も!世界的建築家・槇文彦が遺した代表作を振り返る。95歳まで生涯現役で活躍した原動力とは…
プリツカー賞や高松宮殿下記念世界文化賞などの権威ある建築賞を受賞し、生涯現役で建築界を牽引してきた建築家の槇文彦(まき・ふみひこ)さん。2024年6月に逝去されました。槇文彦さんを悼み、彼が遺した建築作品の数々を振り返ります。 「知らず知らずのうちに槇建築を訪れていた」という方もきっと多いはずです。あらためてモダニズム建築の魅力に触れてみませんか? 【写真で見る】95歳で逝去。レジェンド建築家・槇文彦が遺した名建築
槇文彦さんとは?
1928年東京生まれ。東京大学で丹下健三に学び、渡米しハーバード大学大学院へ。ワシントン大学で教鞭をとったのち、1965年に帰国し槇総合計画事務所を設立。 日本から世界に向けて発信された最も有名な建築論の1つ「メタボリズム」を、「中銀カプセルタワービル」や「国立新美術館」で知られる黒川紀章らと提唱したほか、「奥」という概念で東京の景観を読み解いた「見えがくれする都市」という都市論も有名な建築家です。 95歳まで現役で設計を続け、最新作「鳥取県立美術館(2025年開業予定)」を遺してこの世を去りました。教鞭にも立つなど、美しい建築を後世に残すことに尽力したことでも知られています。 その作風は、洗練されたさわやかなモダニズム建築。「幕張メッセ」や「東京体育館」「ヒルサイドテラス」など、有名建築を数多く手掛けています。
ヒルサイドテラス/東京都
まずはじめにご紹介するのは、代官山の旧山手通りに立つ「ヒルサイドテラス」です。 代官山に代々住み続けてきたクライアントである朝倉家と共に、長年にわたって街のイメージをつくりかえてきたプロジェクトで、全部で14棟の建物が1969年から30年の歳月をかけて建設されました。 広場やペデストリアンデッキによって旧山手通りから人々を引き込む、街並みと調和した設計が高い評価を得た建築です。 竣工から50年以上たった今も、住居、店舗、文化施設が混在した豊かな都市環境を育んでいます。 所在地:東京都渋谷区猿楽町18-8
スパイラル/東京都
表参道近くの青山通りに立つ複合文化施設。アルミでできた金属感のある外壁パネル、円錐、不均一な間隔で設られたサッシなど、さまざまな要素で構成された複雑なファサードが目を惹く建築です。 「何かまわりと違ったものをつくってほしい」というクライアントであるワコール社のオーダーに対して、槇さんは一般的な建物のように水平垂直を強調するのではなく、螺旋状に上昇していく感覚を覚えるようなものを設計しようと考え、こうした構成が生まれたそうです。 内部でも多様な空間が展開されていますが、なかでも1階のカフェの奥にあるアトリウムが象徴的。この建築の名前の由来になった螺旋状のスロープがぐるりと巡っています。 館内にはカフェの他、ギャラリーや多目的ホール、生活雑貨を扱うショップなどがあります。ぜひ青山にお越しの際はお立ち寄りを。 所在地:東京都港区南青山5-6-23