「腐ったな」の言葉に反発し歌舞伎町へ 城咲仁をカリスマホストに導いた親父との葛藤
入社2か月でナンバーワンのホストになり、一世を風靡した城咲仁さん(46)。仲間の死や父親への反発から、飛び込んだ世界でした。きらびやかな世界での地道な歩みが頂点へ上りつめる方法だったといいます。(全4回中の1回) 【画像】「白スーツに胸筋チョイ見え!」カリスマホスト時代の城咲さん「懐かしい」(全23枚)
■父親に「腐ったな」と言われて歌舞伎町へ ── 城咲さんは1999年ごろ、歌舞伎町ナンバーワンホストとして一躍有名になりました。どのような経緯でホストになったのでしょうか? 城咲さん:僕の実家は東京都板橋区にある「丸鶴」という中華料理屋です。僕をあと継ぎにしようと、親父に無理やり修行をさせられました。でも「あとを継ぐつもりはない」と大げんかをして、家を飛び出したんです。
その後、飲食店でバイトをしてひとり暮らしをしていました。ところが趣味で組んでいたバンドのメンバーのひとりがみずから命を絶ってしまって…。ショックで何も手につかなくなり、21歳で実家に戻ることに。半年くらい何も手がつかなかったです。親父は事情を何も知らなかったのですが、魂が抜けたような僕に対して、ひと言「腐ったな」と言ったのです。 その言葉がガツンと響き、闘争心に火がつきました。気づいたらスーツを着て新宿歌舞伎町のホストクラブ「クラブ愛」の前に立っていました。親父を見返すためにホストとして働き、トップになろうと思ったんです。
── 行動力がすごいですね。それまでにホストクラブへ行ったことはあったのですか? 城咲さん:20歳になったとき、バイト先の常連さんが「クラブ愛」に連れて行ってくれたんです。そのとき担当してくれたホストが、年下の僕にも丁寧な接客をしてくれました。もともと僕は「ホストはチャラい」と思っていて、あまりいい印象を抱いていませんでした。でも「ホストってこんなに紳士的でかっこいいんだ」と、イメージがガラリと変わりました。
それに、ホストは頑張っただけ収入が上がります。飲食店のバイトをしていたときは電気やガスを止められるくらいお金に困っていて。だからホスト業界で高収入を得ようとも意気込んでいました。 僕が働かせてもらおうと「クラブ愛」に行ったとき、たまたますごく忙しい日だったんです。面接を受ける前なのに「ちょっと手伝って」と言われ、接客することに。飲食店でバーテンダー経験があったので、初日からでも仕事ができたんです。それで、そのまま働くことになりました。