「腐ったな」の言葉に反発し歌舞伎町へ 城咲仁をカリスマホストに導いた親父との葛藤
■「毎日4時間半」歌舞伎町を歩き回って ── そこからホストとしての城咲さんの人生が始まるわけですね。ナンバーワンホストになるまでに、どんな努力をしましたか? 城咲さん:もともと凝り性で、「一度始めたことは極めたい」と思うタイプです。だから絶対にナンバーワンになろうと思いました。最初は自分のお客様もいないので、毎日4時間半、歌舞伎町を歩き回り、いろんな人に名刺を配りまくっていました。すると、どんどんお客様が来てくださるんです。おかげで入社して2か月でナンバーワンになりました。
ホストになってからは、お客様に喜んでいただくにはどうしたらいいかをつねに考えていました。お客様が「あのお店のラーメン食べたいな」と、ポロッと言えば土鍋を持って、そっと買いに行ったこともあります。 ── それはお客様も驚かれるのではないでしょうか? 城咲さん:そうなんです。お客様にラーメンを差し出したら「これ、どうしたの?」と、驚かれました。「さっき食べたいって言うから買ってきたんだよ」と言うと、本当に喜ばれました。
ホストとは、細やかなサービスでお客様に満足していただく職業です。ときどき「原価の安い酒や無料の水に対し、高い料金を払わせるなんてとんでもない」と言う人がいますが、それは違います。「原価の安い酒や水が高額なのも納得できるくらい、素晴らしいサービスを提供してくれる」と思っていただくのがホストの仕事なんです。 だからホストだったころは、お客様に現実を忘れ、楽しんでいただけるように心がけていました。一流のスーツや靴を身に着け、髪型もきちんと整えて、店中をきれいに清掃していたんです。日々の出来事やお客様が言ったことをすべてメモし、次に来店されたときはどんなことを話そうか、いつも考えていました。
同時に、一緒に仕事をする同僚や先輩たちにも気を配っていました。入社してすぐトップホストになりましたが、先輩にはきちんとあいさつ、本来はヘルプの仕事である灰皿の掃除やウーロンハイ作りなども率先して行いました。一緒に働く仲間とギスギスすると、お客様にも伝わってしまいます。歩調を合わせる大切さも感じていました。 ── 6年間、ナンバーワンホストとして活躍し、年収1億円だったこともあったそうですね。なぜホストを引退しようと思ったのでしょうか?