中村俊輔も認めた技巧派レフティの真骨頂は? 遠藤康のブレない信念こそ、彼の成功の土台にあったように思う【元番記者コラム】
「ここで勝負したい」と一度も首を縦に振らなかった
「遠藤君は(ボールが)収まるよね、好きなタイプの選手だな。マリノスに来てくれたら面白いよね」 【画像】サポーターが創り出す圧巻の光景で選手を後押し!Jリーグコレオグラフィー特集! 確か、あれは2011年か、2012年シーズン頃のことだったと思う。当時、横浜F・マリノスでプレーしていた横浜FCの中村俊輔コーチの口から、「今、Jリーグで気になっている選手はいますか?」といった何気ない会話の中で出てきた名前が、今月8日に今季限りでの現役引退を表明したJ2ベガルタ仙台のMF遠藤康(36)だった。 遠藤は当時、プロ入りした鹿島でバリバリのレギュラー。代名詞とも言える太いふくらはぎに象徴される強靱な下半身を武器に、常勝軍団で頭角を現していたタイミングだった。 高いキープ力と技術、そして類い希なるパスセンスに広い視野――。強者ぞろいの鹿島の右サイドで異彩を放っていた遠藤の名前が挙がるのも、全く不思議ではなかった。 その後の活躍は今さら語る必要もないだろう。1メートル68と小柄ながら卓越した技術と戦術眼で、鹿島では退団する2021年までJ1通算304試合46得点。2015年には日本代表候補トレーニング合宿に初招集された。 当時の日本代表のハリルホジッチ監督がこんなことを言っていたのを覚えている。「テクニックのクオリティが高く、少し中村俊輔に似ている」。俊輔も同じレフティで似たタイプとして、どことなくシンパシーを感じていたのだろうか。 いずれにせよ、冒頭のコメントにもあるように、そのキープ力の高さを絶賛していたことを今でも鮮明に覚えている。 ただし、遠藤が名手ぞろいの鹿島で重宝されたのは、その卓越した技術だけではないと思っている。遠藤のことは、プロ入りした07年から2年間、取材する機会に恵まれた。当時の鹿島はオリヴェイラ監督の下、07~09年に史上初のリーグ3連覇を達成した黄金時代の真っ只中。 スカッドも内田、岩政、大岩、新井場、小笠原、野沢、本山、マルキーニョス、興梠らスターぞろいで、遠藤は彼らの高い壁に阻まれ、プロ入りから3年間、ほとんど出場機会を得られなかった。 それでも他クラブの評価は常に高く、鹿島には毎年、レンタルでの獲得オファーが届いていたことを覚えている。私も遠藤に何度か「レンタルで外に出る気はないの?」と聞いた記憶がある。鹿島としても、本人次第で武者修行に出す構えはあったと聞いていたからだ。 それでも、遠藤は「ここで勝負したい」と一度も首を縦に振らなかった。その信念の強さが実は、遠藤の真骨頂ではなかったのではないだろうか。 一度決めたら最後まで貫き通す。話をしているとおおらかで、のんびりした性格にも感じるが、内に秘めた闘志、ブレない信念は、生まれ持った武器で、おそらく彼の成功の土台にあったように思う。