相次ぐ密航船の転覆事故で多数の死者も 移民・難民、なぜ増える?
地中海で、密航船の転覆事故が相次ぎ、多くの犠牲者が出ている。背景には、中東やアフリカ諸国の難民が、船で地中海を渡ってイタリアなどを目指す密航行為の増加があるという。また、ミャンマーの民族・宗教対立を逃れた少数派イスラム教徒、ロヒンギャ族が難民化し、同国南沖のアンダマン海を漂流。タイやマレーシアなどの周辺国は受け入れに難色を示しているとされる。そもそも、どうして移民や難民が生まれてしまうのか。問題の解決の糸口はあるのか。移民・難民問題に詳しい東洋英和女学院大の滝澤三郎教授に寄稿してもらった。
相次ぐ密航船事故
地中海では、リビヤやシリアからイタリアを目指す密航船が何隻も沈没し、今年だけで約1800人が亡くなりました。アジアではミャンマーのロヒンギャ族が約2000人乗った密航船が26日現在もベンガル湾を漂っています。この「人道危機」の背景には複雑な事情があります。
そもそも、移民・難民とは?
難民とは1951年の国連難民条約で、「人種、宗教、国籍、特定社会集団、さらには政治的な意見ゆえに迫害されることを恐れて外国にいる人」と定義されています。同条約は、自国に逃げてきた難民を迫害の恐れのある出身国などに強制送還してはならないという義務(ノン・ルフルマン原則)を条約加盟国に課しています。 移民というのは、より良い仕事と生活を求めて自ら外国に出て行く人々で、現在世界に2億人程います。移民に対しては拘束的な国際条約はなく、誰をどんな条件で入国させるかは各国の自由です。
増大する移民・難民
難民条約ができたころは国連加盟国の数も51で、それぞれの国が国内統治力の強い政府を持っていました。当時の難民は共産主義国から自由主義国に逃れる「政治難民」で、その数は年に数万人でした。共産主義よりも自由主義を選ぶこうした難民を西側諸国は歓迎しました。また、第2次大戦後の復興に多くの人手を必要とした西側諸国はアルジェリアやトルコから移民労働者を大量に受け入れていました。 1960年代以降、アジア・アフリカの植民地が独立しましたが、多くが独裁や貧困問題を抱え、欧米諸国への難民や移民が増えました。73年のオイルショック後、欧州は移民受け入れを停止したものの、それは逆に密入国や「偽装難民」を増やしたのです。冷戦終結後は旧ユーゴなどで国内紛争が起き、数十万人の「紛争難民」が欧州諸国に向かいました。さらに2011年の「アラブの春」以降の混乱でイラク、シリア、リビアは「破綻国家」に近くなり、難民と移民の流出が急増しています。しかし、今日の世界に紛争難民や経済移民を進んで受け入れようとする国はありません。 地中海を密航船で渡る人々の多くは、純粋な紛争難民でも純粋な経済移民でもない、生きるため出国する人々です。貧しさゆえに紛争が起き、紛争が経済を破壊して貧困が広がり、生活できないから命がけで外国を目指す……。こういう人々を「生存移民」と呼ぶ学者もいます。 そのような中で「密航業者」が増えました。彼らは貧しい難民や移民から年収の数倍に当たる50万円から100万円をも密航料として徴収しますが、船が捕獲されそうになると乗客を見捨てて逃げてしまいます。人命を全く顧みない「密航産業」の収入はいまや年間数兆円とも言われます。