3度のSF王者・山本尚貴を、ホンダ陣営のエースたらしめたものとは。関係者の証言「わずかな変化も感じ取る」「本当に妥協しない」
2024年シーズンをもって、山本尚貴がスーパーフォーミュラから引退した。2013年、2018年、2020年と計3度のシリーズチャンピオンは、近年稀に見る実績だ。36歳の山本は今季も度々速さを見せていることもあり、引退はまだ早いという声もあるが、これで15年に渡る国内トップフォーミュラでのキャリアにピリオドを打つことになった。 【ギャラリー】人が……乗ってないだと!? スーパーフォーミュラを使った自律走行レース『A2RL』が鈴鹿でテスト そんな山本と、「初めてチャンピオンを獲った時からずっと」仕事をしてきたというのが、ホンダ・レーシング(HRC)でスーパーフォーミュラのラージ・プロジェクトリーダー(LPL)を務める佐伯昌浩氏だ。ホンダF1第2期でエンジン開発に携わった佐伯氏は、最近ではスーパーフォーミュラやスーパーGTのエンジン開発を手掛けてきた。 「昨日の走り(金曜専有走行でトップタイム)などを見ていると、まだもう少し乗れたかなと思います。私は2014年からSFのLPLをやっていますが、2013年から現場に来ていたので、(山本が)初めてチャンピオンを獲った時からずっと一緒です。近年3回タイトルを獲れたドライバーはいなかったので、楽しかったなと思います」 そう語る佐伯LPL。山本はエンジンに対する要求も非常に細かく、そういった点ではある意味「面倒臭かった(笑)」と冗談めかして笑うが、そのストイックさが開発陣にも火を付けていたという。 「エンジンに対する要求もすごく細かいです。我々が問題として気付いてはいるけど、(ドライバーには)分からないだろうなというレベルのものを、見事に見つけてくるんです」 「例えば、自分のアクセルワークに対して要求値通りに来ていないとかですね。単発失火など、わずかな燃焼の変化も感じ取るので、すごく繊細ですね」 「100分の1秒の世界で競っているので、それが原因だと言われるとこちらも悔しいじゃないですか。そういう感じで一緒に開発をしてきました。(シリーズ名称が)スーパーフォーミュラになってからずっと一緒にやってきましたが、お世話になりました」 山本はTEAM MUGEN時代に2度のタイトルを獲得しているが、現在TEAM MUGENの監督を務める田中洋克氏は当時、無限(M-TEC)のエンジンサポート部隊を率いており、裏方として山本と関わっていた。その田中監督も、山本のストイックさを肌で感じていたという。 「尚貴は野尻(智紀)と同じで、細かいクルマの動きを敏感に感じて、それをちゃんとエンジニアにフィードバックします。その部分を修正することに対しては本当に妥協しないんです」 「そこに誠心誠意対応するエンジニアがいて、その組み合わせがうまくいけば、ものすごく良いものができます。当時担当していた阿部(阿部和也エンジニア)も、エンジニアとしてすごくストイックでしたから。勝ちに対するこだわりがすごくあるので、それについてくる周りのスタッフがいたら、すごく強いチームになります」 「下手するとふたりだけが先行して周りがついて来られない……ということにもなりかねませんが、当時の僕らはそこがうまくいっていました。1台体制でありながらも結果が残せたのはそういうところかなと。本当に1台の時代からよく頑張っていたと思います」
戎井健一郎
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