「民主主義は必ず社会を変えられる」泉房穂・前明石市長の熱い思い、「自助」を民に押し付け政治家は責任を放棄するな
事実、明石市の職員もそうでした。私の場合で言えば、子育て政策の予算を確保するために、20年間で600億円費やして下水道を太くする大プロジェクトが決まっていましたが、150億円に減らしました。 床上浸水してしまうリスクがあるということでしたが、「人が死ぬんか?頻度はどれくらいか?」と聞くと「人は死なない。頻度は100年に1回」ということでした。しかも、対象となるのはわずか10世帯。「ちょっと待って。目的達成のための方法を変えようやないか。最後何かあったら、私が腹を括って謝る。責任は政治家が取るんや」と伝え、最終的に450億円を生み出しました。これは、政治家と霞が関の関係でも同じ構図ではないでしょうか。
日本にはまだ希望がある政治家に期待したいこと
─自己責任論が世の中に溢れています。特に、競争社会を勝ち抜いた人にはその傾向が強いですが、泉さんがそうならないのはなぜですか? 泉 私の父親は小卒で漁師です。毎日深夜の2時半から働いていました。母親は中卒です。どこの家族の親よりも働いているのに、家は貧しい。弟は生まれつき障害がありました。でも、弟は結果的には立ち上がり、歩けるようになった。ありがたいけど、それはただの幸運に過ぎません。 父親は一生懸命働いているけど家は貧乏だし、弟は頑張っているけど他の人よりできない状況。小学校の頃から、「弟のためにお前が2人分稼げ」と言われて育ちました。 父親は10歳で終戦を迎えているのですが、兄が3人も死んでしまったから、10歳ちょっとで漁師になって家族を支える以外の選択肢がありませんでした。その子どもが私だった。 でも、幸福もいっぱいでしたよ。「冷たい社会を優しい社会に変えたい」という思いから猛勉強し、親戚の中で私は初めて大学に入りました。 私が生まれ育ったのは結局、そういう世界なんです。そういう中で生まれ育って生きてきたから、みんな得手・不得手がある。その得手・不得手を組み合わせながら、みんな助け合っていくのが人間という生き物だと身に染みて感じています。 やっぱり、最近は自助とか自己責任とかという考えが増えているように思います。特にテレビに出演すると、20代、30代くらいで努力して成功してる人がいるんですが、自らの力で切り開いて成功した人は、自分の成功体験が他者に対して「努力が足りない」「本人の責任」というように捉えがちです。そこに私はものすごく違和感がある。 私の場合は、自助を強調するのは政治家の責任放棄との考え。本来は公助こそがしっかりすべきであり、助け合いの共助に、仕事や責任を転嫁するのも違うと思っている。 例えば、子ども食堂についても、ボランティア任せではなく、場所探しや広報なども行政が全面的に協力し、かかる費用やリスクについては行政が負う。地域における共助を行政が公助していくとのスタンスだ。 ─泉さんのお話を聞いて、日本の政治に少し希望が持ててきました。 泉 前回のインタビューでも言いましたが、日本にはまだまだ希望がありますよ。やっぱり、明石の市民は強かった。こんなキャラクターの私を市長にしてくれたんですから。周りが「敵」だらけの中でも、市民の力で私を守り切ってくれた。一度辞職した時も「泉市長に救われたから、今度は私たちが助ける番」と言ってくれた。そんなセリフ、よく思いつくよね。「民主主義やな、これが」と涙が出たね。 まとめると、ポイントは二つで、一つは「どっちを向いて政治するか」、もう一つは「本気かどうか」ということ。私は市民を見て、市民を向いて、本気で政治をしてきましたが、今の政治家を見てください。「やってるフリばっかりやん」って思いますよね。 今の時代状況に対して真摯に向き合い、苦しんでる市民、国民の生活を見て、ちゃんとした政治をやろうよ、本気でやろうよ、私が政治家に期待したいのはそこかな。
大城慶吾,友森敏雄