「民主主義は必ず社会を変えられる」泉房穂・前明石市長の熱い思い、「自助」を民に押し付け政治家は責任を放棄するな
─これからの国と地方の役割分担はどうあるべきでしょうか。 泉 簡単に言うと、子どもの教育、医療費、保育料、給食費などの無償化は国がやる。一方で、子どもの虐待防止や心のケアなど、顔を見てしなければならない寄り添い型の仕事は自治体がやる、こういうイメージやね。 国の財政事情が厳しいのはみんな分かってる。それでも、子どもにはしっかりと予算をつけるべきです。子どもから始めれば経済も回り、社会も好循環になるというのに、日本は教育にかける予算が先進国の中でも際立って少ないですね。 明石市の場合、子ども予算は市長就任前の125億円から297億円まで2.4倍に、また子ども施策にかかわる職員数も39人から135人まで約3倍に増やしました。これが地域の仕事、市長の仕事なんです。 地域によっても事情は違うのだから、国の指示で一律に予算・人員を増やすことはない。国は無償化などの予算を増やして、地域でできることは地域で調整して、必要な課題に向き合うということにしていくべきでしょう。
永田町にいるのは政治家でなく選挙屋ばかり
─そうした中で政治家に求められることは何でしょうか? 世襲議員の多さも問題視されています。 泉 政治家は、もっと「言葉の力」を大事にするべきです。選挙にお金がかかるというのはまったくの嘘。お金がかかるような前例踏襲型の選挙をいつまでも続けているからです。お金をかけなくてもできることはある。それは、「言葉の力」を大切にすることです。政治家は言葉で政策を訴えるべきです。それを実践している政治家はほとんどいない。だから、永田町にいるのは政治家ではなく、選挙屋ばかりです。本来の政治家は政策、方針を決定することが仕事。そのためにお金は必要ない。いるのは日々の勉強、決断力、胆力などです。 有権者、庶民を向いた言葉を持った政治家が選ばれることが必要です。手前味噌やけど、私は、ほんまに「言葉一本」やったからね。 言葉の力こそ、民主主義の一つの根源なんです。やっぱり政治家が語る言葉の厚み、重み、熱量が、どこまで伝わるのかが重要です。言葉で語り、個々の有権者を信じて勝ち切れる政治ができれば、政治の状況も変わってくるでしょうが、いまだに日本は組織力や宗教も含めた形の世界で政治が動いている。残念です。 世襲議員の多さも問題です。世襲の場合、利権・利害関係が変わらないから、政策転換はできません。かつてのような安定期における日本では、それでも良かった。安定とは、ある意味で、これまでやってきたことを継続することがポイントですから。でも、時代は大きな転換期を迎えており、もう、これではしんどいですよね。 ─政治家と官僚のあり方についてはどう思われていますか。 泉 政治家と官僚の関係も見直されるべきです。そもそも、官僚にこれまでやってきたことを変えろと言っても彼らにはルール、予算、権限など、決められた制約がある中で、大きな方針転換はできない。 もちろん、公務員は「国民全体の奉仕者」です。ただ、就職という形で入っているので、政治家のように選挙で選ばれているわけではないから、民主主義の反映ではありません。 また、霞が関は絵に描いたような縦割り組織です。それは、省庁ごとに役割が明確化されているから、仕方ない面もある。また、自分の省庁や部署の成果を重んじ、保身が強い人もいる。「10年に一度の逸材」と言われるような官僚とも飲んだことがありますが、国民目線を持っているとは思えませんでした。官僚としては優秀なのでしょうが……。 もちろん、政治家に対して、勇気を持って異を唱える官僚もいるでしょう。それでも、最後、腹を括って、方針転換できるのは政治家です。 物価高で国民が苦しい生活に直面している中、増税路線の財務省に対して国民が「なぜ、官僚は私たちのことが分からないんだ」と疑問、不信感を持つことは当然のことでしょう。私も財務省の言うことが全て正しいとは思っていません。でも、忘れてはならないことは、官僚には超えられない一線があり、民意を汲み取り、政策を打ち出し、霞が関を動かすのは政治家の仕事だということです。 やみくもな防衛費増額よりも、国民の日々の暮らしを守るため、予算の配分を大胆に方針転換するのも、政治家の仕事に他なりません。だからこそ、政治家が方針を決め、官僚には「私が責任を取るから思い切ってやってくれ」と言うのが本来の政治家です。そうすれば、官僚は意気に感じて、いい仕事をしてくれるようになります。言葉を選ばずに言うと、官僚を〝使いこなす〟ことも政治家に求められる資質なのです。