古田敦也氏が史上初のストライキ決行を述懐 当時の選手会長が球界再編20周年シンポジウムで
オリックスと近鉄の合併に端を発した2004年の球界再編問題から20年目の節目を迎え、日本プロ野球選手会は17日、東京都内でシンポジウムを開催した。 当時、「破壊的創造」と表現して10球団1リーグ制も視野に入れた経営側の縮小案に選手会が猛反発し、史上初となるストライキを決行。12球団制を維持に尽力した当時の選手会長だった古田敦也氏は、妥結の合意文書で経営側が「新規参入を希望する企業の審査をする」「最大限の努力をする」との文言を拒否したことで最終的にストライキに至ったと明かした。「ストライキがいいことだとは思っていなかったし、今でもファンの方には迷惑をかけたと思っている。でも、最終的にはファンが勝ち取った勝利だったと思う」と振り返った。 また当時、阪神の球団社長だった野崎勝義氏も登壇。再編問題の渦中で、いわゆる栄養費問題で巨人・渡辺恒雄オーナーが辞任したことで「オーナー会議が渡辺オーナーの独壇場ではなくなって、議論の時間も長くなった」と指摘。その上で「(経営者側は)スト以上に、選手会に譲歩したくない思いが強かった。ただ、ストライキが決定打となった。世論は選手会支持で盛り上がり、オーナー側が一気に悪役となり、これ以上はファンの意向を無視できないと事態が収束に向かった」と述懐した。