「教員はサービス業?」学校の先生達が抱える苦悩。学校の先生は何で勝負する?忘れられない疑問
また、学年の生徒指導担当となって、やんちゃな生徒たちとも泥臭くかかわり、その後もずっと続く得がたい人間関係を手に入れた。学級経営にも力を注いだ。 ■教員の専門性は「子ども」にある 授業なのか部活なのかと、悩む時期もあったが、そうではなく、教員の専門性は子どもなのだと感じた。数学だけを専門的に教えたいなら、塾の講師になればいい。サッカーだけ教えたいなら、クラブチームの指導者になった方がいい。 学校の教員は、学校生活を通して子どもたちのさまざまな表情を見ることができる。ずっとそばにいる教員だからこそ見えてくる、一人ひとりの良さや課題がある。それぞれが持つ良さを見抜き、伸ばすことで、子どもの生きる力を育むのだ。
そうやって本気でかかわった子たちとは、一生の付き合いになる。教え子が進学し、生業を見つけ、家族を持ち、一人の人間として立派に成長し、次の世代にバトンをつないでいく姿を見守れることこそが教師の幸せなのではないだろうか。 だから教員は歯を食いしばって頑張れ、などと言いたいわけではない。経済協力開発機構(OECD)が2013年に発表した国際教員指導環境調査(TALIS2013)の結果を分析した妹尾昌俊は、「過労死ラインを超えるくらいの長時間労働をしている教師は、部活動も、授業準備も、校務分掌や学年事務、添削も熱心にやっており、もっと時間があれば授業準備や自己研鑽をもっとしたいと思っている傾向が強い」ことが示唆されていると述べている(『「先生が忙しすぎる」をあきらめない――半径3mからの本気の学校改善』教育開発研究所、2017年)。
私がそうだったように、過労死ラインを超えて頑張っている教員は、行政の十分な支援がないため、残業することで、自分が「先生」になれる環境を無理やりつくろうとしているのではないだろうか。 ■教員の仕事をとらえ直す必要がある 大人が子どもの心をつかみあぐねているこんな時代だからこそ、教員の仕事を、子どもの人としての成長を支援することとしてとらえ直す必要がある。 教員が「私たちの仕事を減らせ!」と労働者の権利を主張するのではなく、「私たちにちゃんと仕事をさせろ!」と「子どものプロ」としての義務と責任を追求した方が世論もついてくるだろう。
教員の現場裁量を保障すること、教員の数を増やして子ども一人ひとりと向き合う余裕を確保すること、自己研鑽するための休みを確保すること、生徒の成長と直接関係のない調査などの事務作業を外部委託もしくは撤廃すること、点数に依拠したPDCA(Plan, Do, Check, Action)サイクルを廃止すること……。 教員が教えに浸り、子どもの成長を促す環境づくりのために行政ができることはたくさんある。
鈴木 大裕 :教育研究者