飲食・アパレル・野球…沖縄に恩返し 元プロ野球選手の大嶺祐太(36) 二兎を追う
絵心のあるロッテ時代の後輩に原案を頼んだというブランドのロゴは、自身が受けた右肘の靱帯(じんたい)再建手術(トミー・ジョン手術)の傷痕をモチーフにしたものだ。
飲食店とアパレルブランドを2本柱に、野球の解説、野球教室なども手掛ける多忙な日々。プロ野球時代に学んだ「準備の大切さ」が生きていると感じる。
例えば、店の料理の仕込みは、絶対に手を抜かない。「調理し、お客さまに料理を提供するまでを『試合』とすれば、仕込みは(準備運動の)ストレッチ。そこで手を抜くと、最後の最後で大きなズレになるから」
一方で、プロ野球選手のセカンドキャリアで一番邪魔になるものは「プライド」と即答。「野球をしているときは色々な人に応援してもらえる。自分の場合は妻がいたが、次のステージでも応援してもらえる人がいる環境作りが、早い段階でできるといい」と語る。
■地元に恩返し
将来の夢も描く。多くの夢に通底するのは、故郷への思いだ。
「沖縄で牧場を開き、育てた牛の肉を都内の焼き肉店で提供したい。練習や食事、宿泊、体のメンテナンスまでできるスポーツ関連施設を、沖縄に作りたい」
今年は沖縄で野球教室を開催し、子供たちに自身の経験に基づき食の大切さを伝えるイベントも行う予定という。
小学生から高校まで指導を受けた恩師。プロでお世話になったコーチ、選手。引退後に出会った人々。野球を介した人とのつながりが、自身を形作っている。
「飲食、アパレル、野球。今やっていることを全部、沖縄への恩返しにつなげていきたい」
現役時代のマウンド上と変わらない、精悍(せいかん)な表情で語った。=敬称略(梶村孝徳)
■大嶺祐太
おおみね・ゆうた 昭和63年6月生まれ。沖縄・石垣島出身。伊志嶺吉盛さんが創設した少年野球チームで小学2年から野球を始めた。中学も伊志嶺氏が創設した硬式チームでプレー、高校も同氏が監督に就任した八重山商工高に進学、離島勢初の春夏連続甲子園出場の立役者となった。ドラフト1位でロッテに入団。中日での1年を含め計16年間プレーした。