”慰霊の日”を汚す人たち 関東大震災での朝鮮人虐殺”否定”するデマ 101年目の追悼を前に
関東大震災が起きたのは1923年9月1日。近年、「大震災後の朝鮮人虐殺はなかった」というデマを信じて、虐殺そのものを否定する人たちが出てきた。慰霊碑の前での集会を取材したRKB毎日放送の神戸金史解説委員長の目には、当時デマを信じて朝鮮人を虐殺してしまった人たちと重なって見えるという。震災101年となる9月1日を前に、RKBラジオ『田畑竜介GrooooowUp』でデマを信じることの怖さを訴えた。 【写真で見る】虐殺を否定する「そよ風」の集会 ■李政美さんの優しい歌声『京成線』 まずは『京成線』という歌を紹介します。作詞・作曲は歌手の李政美(イ・ヂョンミ)さん。東京都葛飾区の下町で生まれ育った在日コリアン2世で、民族学校を経て国立音楽大学声楽科に進みました。57歳の私より少し年上で、オリジナルを中心にジャンルを超えた幅広いレパートリーでライブを各地で展開をしています。 重くよどんだ 川の水に 四両の短い影 映しながら 今日も走るよ 京成線 低い鉄橋の その下には 埋もれたままの 悲しみ眠る エヘイヨ エヘイヨ 灰色の煙吐き出す車 高くそびえ立つ高速道路の下 くぐり抜けてく 京成線 川向こうから 吹く風は なつかしい匂い 運んでくる エヘイヨ エヘイヨ 京成線は、東京都東部あたりを走っている私鉄です。荒川に橋梁がかかっています。この辺りが李政美さんの故郷です。李さんは若いころ、「日本人になりたい」と思っていた時期もあったそうですが、年を重ねてやっと「今のままの私でいい」と思えるようになって、故郷の匂いが「なつかしい匂い」だと感じるようになってきたそうです。『京成線』はそんな自分を表現した”自己肯定の歌”なんですね。 ■現場となった河川敷で 歌詞の中には「低い鉄橋のその下には埋もれたままの悲しみ眠る」とありました。関東大震災の時の「朝鮮人虐殺の現場」の一つが、この鉄橋のある河川敷です。橋を渡って通学していた李さん。1994年に作った『京成線』は、民族の悲しい歴史も踏まえています。 顔も知らない ハルモニ、ハラボジ いくつものアリラン峠越えて 辿り着いたこの町 京成線に乗って帰ろう この町もまたふるさと 嫌で出て行きたかった「この町もまたふるさと」だと歌っています。私は東京で単身赴任をしていた時、李さんのライブに行き、この歌を聴いて「素晴らしいな」と思いました。李政美さんはあるインタビュー記事で、「歌とシュプレヒコールは違う」と言っていました。しかし「100年前の同胞の無念を、これからも想像しながら歌い続けたい」とも話していました。