[懐かしの名車] ホンダ プレリュード(2代目):みんなが憧れたスペシャリティクーペ
衝撃的なルックスに、気筒あたり3バルブを持つエンジン。国産初の4輪アンチロックブレーキやボレロを使ったテレビCMも話題となり、2代目は総生産台数60万台を超える人気車となった。スペシャリティクーペという、いわゆる「デートカー」として名を馳せたモデルである。 【画像】[懐かしの名車] ホンダ プレリュード(2代目) ×12枚 【HONDA PRELUDE 1800XX(1982年式)】●全長×全幅×全高:4295mm×1690mm×1295mm ●ホイールベース:2450mm ●車両重量:980kg ●乗車定員:4名 ●エンジン(ES型):直列4気筒SOHC1829cc ●最高出力:125ps/5800rpm ●最大トルク:15.6kg-m/4000rpm ●最小回転半径:5.1m ●10モード燃費:12.0km/L ●燃料タンク容量:60L ●トランスミッション:前進5段後進1段 ●サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン式独立懸架/マクファーソンストラット式独立懸架 ●タイヤ(前/後):185/70SR13 ◎価格(東京地区):171万8000円
豊かになった日本の若者にも受け入れられた、スポーツ性と色気
当時の日本の若者に、初代プレリュードが魅力的に映らなかったのは仕方ない。 今見ると端正なフォルムも、当時のセリカ/スカイライン/サバンナRX-7などのライバルと比べると、「大人」と言えば聞こえがいいが、はっきり言ってオヤジグルマに見えていた。 ほとんどのグレードに電動サンルーフを装備し、高級なコノリーレザーシートも用意した室内は快適だったが、当時のスポーツカーの常道だったずらりとメーターが並ぶコックピット感覚とはほど遠く、刺激的な高性能エンジンの設定もなし。 さらに致命的だったのは、プレリュードが採用するFF方式は、スポーツ走行には向かないという当時のメディアの論調だった。 じつはその足まわりのレベルは高く、目の肥えた批評家からはFFのネガを感じさせない上質なハンドリングと評されたものの、クーペと見れば自動車雑誌がサーキットに持ち込んでタイムを競う世相には、マッチしなかったのも事実だった。 開発されたテストコースの地名を取って、「三次ポルシェ」と呼ばれたサバンナRX-7の前では、優雅な「川越ベンツ」(プレリュードが生産される狭山工場の最寄りインターチェンジは関越道の川越だった)の俗称も、揶揄にしか聞こえなかったのだ。 しかし、急速に発展/成熟していた当時の日本は、その優雅な個性にたちまち追いついた。1982年に登場した2代目プレリュードは、初代の不人気が嘘のように、日本国内でもブレイクしたのである。