「父を継ぎ、建設会社つくりたい」 けんか好まず、優しい少年時代 踏切自殺偽装で死亡の高野さん
踏切自殺に見せ掛け殺害された塗装会社元社員高野修さん=当時(56)=は幼いころ、「けんかは嫌だ」と話し、友人にからかわれても決して言い返すことのない、優しい少年だった。 【写真】殺害された高野修さんが住んでいた東京都内のアパート。築33年の木造2階建てで、家賃は月3万4000円ほどという 父親は大工で、小学校の卒業アルバムには「とうさんのあとつぎをし、建設会社をつくりたい」と夢をつづっていた。 高野さんは幼少期を北海道函館市で過ごした。当時住んでいた家の近隣住人によると、父親は東京に出稼ぎに行き、母親と妹と3人暮らしだった。「近所の子どもとチャンバラをしたり、駆け回ったりしていた。素直な子で、だまされやすいところもあった」と振り返る。 小学校高学年からは、近所の塾に通った。元講師の女性(67)によると、友人にからかわれ、ジュースを買ってくるよう命令されることもあった。女性が「嫌だと言っていいんだよ」と声を掛けると、高野さんは「けんかは嫌だから言わない」と答えたという。「言えないのではなく、言わない子。気に掛けなければと思った」と女性は語る。 勉強を覚えるのには人一倍時間がかかったが、懸命に取り組み、投げ出したり、ふてくされたりすることはなかった。解答を間違って叱られてもにこっと笑い、休まず塾に通った。高野さんの母親は「将来、立派な仕事に就いてほしいから塾に通わせる」と話していたという。 女性は高野さんが元同僚らからいじめられた末、踏切内に立たされ死亡したとみられることを報道で知り、怒りがこみ上げた。「嫌と言わない高野くんの性格を操って、死に追いやったのか。なぜ未来を奪ったのか、許せない」。涙を浮かべ、憤りをあらわにした。