斎藤元彦知事は「本当は良い人」か? アンチと強烈な支持者を生む人の意外な共通点
両極端の評価
斎藤元彦兵庫県知事の選挙中の姿を見て、「テレビなどで伝えられているような悪い人ではないのではないか」と感じた人は少なからずいたようだ。少なくとも「反・斎藤」で記者会見を開いた際、語気を荒らげて机をバンバンたたいていた地元の市長よりも好漢に見えたのは間違いない。選挙期間中に斎藤氏を評価する人が増えたことは、結果が物語っている。 【写真を見る】斎藤元彦知事より「嫌われ者?」のイケメン(49歳)
とはいえ、いまだに斎藤氏への評価は大きく分かれたままだ。その再選を受けて、民主主義の敗北とばかりに嘆く人もいれば、投票した人を愚か者のように非難する人もいる。 特定の人物への評価が、崇拝に近い熱烈な支持と人格否定に近い強い拒否感との両極端に分かれる、そんな現象が可視化されるようになったのは、SNSの影響が大きいとはよく指摘されるところだろう。日本国内でいえば安倍晋三氏が総理大臣に再選した頃から、両極端の人の対立がネット上で日常的に見られるようになった。支持者にとって安倍氏は救世主、控えめに言っても極めて優秀な政治家だったが、アンチにとっては無能な亡国の徒にしか見えなかったようである。 こうした賛否両論を巻き起こす人物について、本人や関係者への取材を積み重ねることでその実像に迫ろうとしたのが、ノンフィクションライター・石戸諭氏の新著『「嫌われ者」の正体 日本のトリックスター』だ。
何かを語りたくなる「嫌われ者」たち
石戸氏がここで取り上げている人物は、玉川徹氏、ガーシー(東谷義和)氏、山本太郎氏、吉村洋文氏……。「嫌われ者」としているのは、毀誉褒貶が付きまとうことを表現しているからであって、決して「嫌われて当然」という意味ではない。石戸氏はこう述べている。
「彼らについて総じて言えるのは一部の熱狂的な支持者・擁護者と、何があっても批判をする熱量の高いアンチとの対立を生み出すことだ(略)。 加えて、熱量を込めて語りたくなる存在であるということも挙げられる。市井(しせい)に生きる少なくない人々が彼らの存在について何かを語りたくなる。直接の利害関係はほとんどないのに、話題に上ることを欲し、何かを書き込みたくなってしまうくらい惹きつけられているのだ」 この記述はそのまま斎藤知事にもあてはまるだろう。今回の県知事選では、投票権を持たない他の地域の人が興味を持ち、ネット上で運動を展開し、中には現地入りした人まで現れた。