【Around30】IT企業から「土木」の世界へ転身した女性
土木にかける情熱の原点
学生時代、「まちづくりがしたい」と、都市計画を専攻した。大学院では茨城県内の高校を回り、少子化が進む中で高校をどのように配置したらよいのかを考え、論文をまとめた。 茨城では東京への交通の便がよくなると、そこに住む人々は東京の私立高校に進学してしまう。少子化もあいまって、県内の高校生は減少していた。データだけを見れば、生徒数の少ない高校を統廃合していけばいいと思った。
しかし、実際に生徒の減少に悩む高校をいくつも回り、現場の先生たちが必死に「なんとか解決策はないものでしょうか」と頭を悩ませる姿を見て、考えが大きく変わった。データを分析するだけでも、現場のこと知っているだけでも、あるべき論を語ってはいけない。両方を知ってこそ多くの人々が幸せになれる都市計画となるのだと、この経験が今の考え方・動き方の根幹になったという。 今さんが卒業した2010年は、リーマン・ショックの影響で就職氷河期。建設会社など、まちづくりに関わる会社の就職試験を受けたがうまくいかず、IT企業に営業として就職した。東京で働き、営業として成果を出し、仕事にも手ごたえを感じる毎日だった。しかし、大学時代の同級生がまちづくりの仕事で奮闘している話を聞き、まちづくりへの思いが再燃した。国家公務員試験に挑戦し、2013年夏にみごと合格。その秋、国土交通省に入省、本省勤務を経て、翌年春から新潟国道事務所に赴任した。
「どぶ川」を再び地域の人々に愛される川に
今さんは新潟で道路工事に携わりながら、新潟市内を流れる川のひとつ、栗ノ木川の付け替え工事も担当していた。もとは道路工事のために仮水路を作り、道路工事が終われば高架化した道路の下に似たような形で戻す計画だった。しかし、休日を利用してまちを歩き、歴史を学び、地元の人たちから話を聞く中で、かつてはこの川と密接に生きる人々の暮らしがあったことを知った。 今では「どぶ川」とまで呼ばれ、地域の人たちの生活や心から離れつつある栗ノ木川を、再び地元の人々のための川にできないか。日々頭を悩ませていると運よく、担当として仕事で携われるチャンスが巡ってきた。今さんは川の専門家や地元の人たちの意見を聞きながら、地域の人々が集まりやすく、親しみを感じられるような川や高架下の空間づくりを考え、提案した。