なぜエヌビディアは覇者になれた? 無名だったジェンスン・ファンをTSMCが認めたワケ
今や時価総額世界一を誇るエヌビディアにも、もちろん苦難の時代がありました。創業者であるジェンスン・ファン氏は、そうした危機をいかにして乗り越えてきたのでしょうか。当時まだ無名だった同氏の周囲を説得した言葉や数々の決断を振り返ると、エヌビディアが「覇者」と言われるまで成長できた理由が見えてきました。 【詳細な図や写真】TSMCの創業者モリス・チャン氏(Photo/jamesonwu1972/Shutterstock.com)
インサイダー発覚、株価急落…苦難期も支えたTSMC
1999年に株式公開を果たしたエヌビディアは、GPUで世界一の座に上り詰めます。ですが2001年、社員のインサイダー取引が発覚。年初に70ドルを記録した株価は10カ月足らずで7ドルにまで下落、時価総額も110億ドルから1/10にまで下落します。 資金面でも厳しい時代が続きます。エヌビディアは半導体の企画や開発が専門で、製造は他社に委託するファブレス企業ですが、ファン氏は創業から間もない時期に同じ台湾出身のモリス・チャン氏(TSMC創業者)に手紙を書き、受託生産をしてくれるように依頼しています。 ファン氏自身、無名のエヌビディアをチャン氏が相手にしてくれるかどうか自信はなかったようですが、チャン氏から直接電話をもらい、生産委託がスタートしています。
TSMCが「ただ者じゃない」と確信したファン氏の言葉
しかし、成長過程ではエヌビディアからTSMCへの支払いが滞ることもあり、数百万米ドルの売掛金が未収となります。TSMCの最高財務責任者・張孝威氏はそれを問題視してエヌビディアを訪問、「支払期限の延長はいいとしても、我々は与信総額の上限を設定すべきだろう」と提案します。すると、ファン氏はこう答えます。 「将来、我々はあなたたちの最大の顧客になります。ですから、そんな扱いをしないでほしい」 (『半導体ビジネスの覇者』p244) 張氏は、まだ30代のファン氏の自信に満ちあふれた言葉を聞いて、考えを改めたと言われています。その後、エヌビディアは急成長を遂げ、今や両社は世界の半導体市場をけん引するトップ企業となっています。 エヌビディアはGPUの開発を推し進める一方で2006年、ソフトウェア開発環境「CUDA」をリリースします。これにより、ゲーミングに限らず、GPUをさまざまな用途に使うための計算ができるよう汎用化を進めます。今やAIモデルの開発において、同社の開発環境はデファクトスタンダードになっています。