「おばあちゃんの長生きレシピ」を称賛する人が知らない、高齢者の「宝くじ」の真実
● 大半の長寿期高齢者の 大変な暮らしは報道されない TKさん「そうそう。宝くじも1000人に1人当たればいいほう。それと同じですよ。みんな誰かの世話になる。でも、元気で100歳まで、と思いたいんです。80代半ばを過ぎて、自分で食事をつくり続けるというのは大変だと思いますよ」 長寿化が進んだとはいえ、実態は、そこに行くまでに「ヨタヨタ、ヨロヨロ。倒れる人の方が多い」という。 しかし、情報の受け手として想定されるのが、60~70代の高齢者だから、願いを達成できた「大当たり」の長寿期高齢者は取り上げられるが、「はずれ」の方の普通の長寿期高齢者の暮らしの大変さなどは、報道されることは少ないという。 「そうだろうな」と私も納得した。 しかし、長寿期になると、多くの人が体力も気力も落ち、誰かの世話にならざるをえなくなる事実を、本当は目にし、知識としては知っているはずである。 にもかかわらず、暮らしのなかでは、「見ていても、見ない」関係がつくられることの方が多い。長寿期高齢者の食事づくりに対して、その労をねぎらうどころか、その負担を見ないようにする方向で、「生きがい」や「喜び」「元気」をもたらすものとして、何歳になっても食事づくり能力を発揮し続けることが期待される。 「自分ごと」としては、食事づくりの負担の重さを訴えても、それが「他人ごと」となると、そうなってしまうようなのだ。 聞き取り調査をしているとき、それを痛感した場面があった。妻とシングル息子との3人で暮らす70歳のデイサービス施設の施設長である男性の話を聞いたときのことである。 本題に入る前の雑談中、男性は自分が病気がちの妻に代わり、毎日の食事づくりをしているが、それがどんなに大変なことか、熱を込めて話していた。 ● 女性は長寿期になっても 「食事づくりは生きがい」なのか? だから、同じ苦労を味わっている人だから、長寿期高齢女性が担う食事づくりの苦労も共感的に理解するだろう。そんな期待を持って質問していった。しかし、そうはならなかった。 施設長「もう、食事づくりが毎日大変なんです。買い物に行くのも遠いから大変。我が家はスーパーまでけっこう遠いんです。それに毎日何をつくるか。メニューを思いつかないし、味付けもうまくいかないし。仕事から帰ってからつくるんですが、本当に大変」