“平成のテロリスト”が令和の今、船木誠勝との一騎打ちをブチ上げたワケ
“平成のテロリスト”という物騒なニックネームで活躍してきたプロレスラーの村上和成(50)が今年6月20日、ストロングスタイルプロレス(以下SSW)の後楽園ホール大会で、長いキャリアで初のタイトルとなるレジェンド王者となった。村上は9・26後楽園大会で、船木誠勝(55)を挑戦者に迎えての初防衛戦を熱望している。その理由は、18年前の、とある忘れ物にあった。(デイリースポーツ・藤澤浩之) ◇ ◇ 村上は「初防衛戦の相手は船木さんと決めている」と言い切る。それには、2006年のある出来事があった。 ゼロ年代前半の新日本プロレスを仕切っていた上井文彦氏が05年、新団体ビッグマウスラウド(以下BML)を旗揚げし、新日本を主戦場にしていた村上も参画する。上井氏は新日本や第1次UWFで旧知だった前田日明氏をスーパーバイザーに迎え、00年のヒクソン・グレイシー戦を最後に引退していた船木を、前田氏のルートで復帰させようとしていた。 復帰戦では村上との一騎打ちが予定されていたが、このプランは前田氏が06年2月に開催された徳島市立体育館大会のリング上で、BMLとの決別を宣言したことで頓挫してしまった。裏でのもめ事が表に噴出したこの大会を、村上は「(空気が)異様でしたねえ。ホントに生きた心地がしなかった。誰もがどういう表情、どういう会話をしていいか分からなかった」と振り返る。 18年の時を経て、レジェンド王者となった9日後、村上はノアの6・29とくぎんトモニアリーナ(徳島市立体育館)大会に出場した。この大会には前田氏も来場し、他にもBMLゆかりの人々が集まった。 「決別してとても重い空気の(06年2月)から、こないだのノアの徳島大会で、最後はみんな食事をして、全てがみんなハッピーな状態で終われた。僕の中では一つ大きなマルが付いた」 ようやく胸のつかえが取れた村上は「でもそこに唯一、船木さんの存在がそこにはなくて、船木さんの存在は僕の中でマルが付いていない。ノアの大会後にベルトを取ってればまた別の気持ちだったと思うんですが、全てが絵に描いたようなものがあって、僕の中ではここしかないだろうと」と、幻に終わった船木戦に向けて動き出した。 村上は昨年からSSWに上がるようになり、同じくコンスタントにSSWに参戦している船木とは3・21後楽園大会の6人タッグで対戦した。「ほぼ触っていない」上に「そんな(一騎打ちの)気持ちも全くなかった」が、レジェンド王座の奪取と徳島大会への出場で心境が一変した。 「ベルトは僕にとってオマケ」と言うように、村上はこれまでタイトルに価値を感じてこなかったが、「今はこの武器をすごく活用させてもらいたい」と、船木戦を実現させる上での必要性を見いだしている。 「これ一本で突き進んでやると。9月の防衛戦を船木さんが飲んでくれなかったら、(9月は)やめればいい。船木さんがその先も拒むようであれば、僕の十八番で行けば、試合をせざるを得ない状態に持ってってあげればいい」と、“平成のテロリスト”は非常手段の活用も否定せず。 村上は船木戦に向けて「船木さんがどんな刀を出してくるか、予測できないところがすごく楽しみで。いくつ持っているかは分からないけど、持っている刀は全て抜かせたい。鬼の船木と戦いたい、そこだけですかね」と、高揚感を抑えられないようだった。 ◆村上和成(むらかみ・かずなり)1973年11月29日生まれ、富山県出身。95年、和術彗丹會入門。総合格闘家デビュー。エクストリーム大会やPRIDEで勝利。98年、UFOでプロレスデビュー。99年、新日本プロレス初参戦。02年、魔界倶楽部入り。05年、ビッグマウスラウド入り(06年崩壊)。ノアやゼロワンにもコンスタントに参戦。08年から前田日明氏主宰のアウトサイダーでプレゼンターや警備責任者を担当。俳優としても活躍し、NHK連続テレビ小説「梅ちゃん先生」「とと姉ちゃん」、大河ドラマ「麒麟がくる」「青天を衝け」「鎌倉殿の13人」などに出演。身長186センチ、体重110キロ。血液型A。