死刑執行まであと10時間「この先も最後まで私の全力を尽くします」特攻隊長の信念~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#67
自分が死ぬ夜には月が出てほしい
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> ついの朝の庭にけぶれる春雨を網窓(ど)をあけてしばしみにつる 吾が最後の林檎にあれば思いきりかぶりつきたり紅き林檎を 遠きとおき自動車の警笛ときおりに房に死を待つ吾に聞こえ来 しんしんと更けたる房に眼さめいて刹那(せつな)のときが惜しくなりけり(昨夜) 朝(あした)より曇れる網窓にひる更けて薄き明りがしばしさしけり 吾が死なむ夜は月出でかしと欲(ほ)り居しが今日は曇りて午後も更けたり 近頃少しも短歌を作らぬ私が推敲もしないので作ったのですから判らぬかもしれませんが、よく読んで下されば、私の気持ちの一端ぐらい判って下さることと信じます。今少し前、榎本君が自作の短歌一つ隣の房から皆んなに朗詠して聞かしてくれたので急に作りたくなって作ってみました。 ○子さんよ、○子さんよ、○君よ、(注・妹弟の名)本当に幸福な人生を送って下さい。私の家の不幸は父上と私で十分だと思います。そしてくどいようですが母上を大事にして下さい。 遺書かき終えしが隣房の友の口笛かすかに聞ゆ 〈写真:死刑囚たちに最期まで寄り添った田嶋隆純教誨師〉 この後、幕田大尉は、一緒に旅立つ石垣島事件の仲間たちと田嶋教誨師で、最後の晩餐に臨む。その様子も幕田は遺書に書き留めたのだったー。 (エピソード68に続く) *本エピソードは第67話です。
連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。 筆者:大村由紀子 RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。