死刑執行まであと10時間「この先も最後まで私の全力を尽くします」特攻隊長の信念~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#67
最後まで私の全力を尽くします
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> どんなに苦しくても、歯をくいしばって自分でやり通す覚悟を持ちなさい。人間の能力は皆五分五分です。努力如何でどうでもなるものです。私はこの先も最後まで私の全力を尽くします。否永久に。 数時間といえども私は決して投げません。最も有効に使うつもりです。悲惨なる東洋民族の勃興を見つつ、そして彼等のために死ぬると思えば気持ちがよい。誰が何といおうと、私の心中に燃えていたものはそれなんですから。今から日本人も大人にならなければなりません。 皆さんその心算で一人立ちで人生を歩く決心をしなさい。だからといって母上はじめ年長の人のいうことはとくにきいて考えなければいけません。間違いのないように。 〈写真:わがいのち果てる日に(復刊)2021年講談社エディトリアル〉
若い人は先人を踏み越えて進め
幕田の父は敗戦時、満州からソ連軍に連行され、その年の10月9日、抑留所内で栄養失調で亡くなっている。 幕田は母や3人の妹弟を養うために北海道の魚粉会社に勤めていたときに、米軍に拘束された。スガモプリズンの基礎データでは職業は「オフィスワーカー」となっているので、事務職だったということだろう。 <幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> 父上も実に気の毒なことをしましたが致し方ありません。若い者は先人を勇敢に踏み越えて進まなければなりません。過去をくよくよしているのは年寄りだけです。斃(たお)れるまで前進あるのみ。 書いていると懐かしさの情が次から次へ順序も連絡もなく限りがありません。私も人生あと五十年として二十年生きていても、ただ酔生夢死するのがオチであるかも知れません。今のぐらいが丁度よいところだと思います。私の決して年寄らざる印象を皆さんに残して行けますから。 〈写真:巣鴨版画集より〉
死を怖れ、たじろいでいては何もできない
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> 執行は今夜半の十二時半過ぎだそうですが問題にしていません。世の中には死より困難なことがいくらでもある。死を怖れ、たじろいでいるようでは一大事因縁どころか何もできない。死の解決は仏教の一大事因縁解決の副産物に過ぎない。ここまで書いていると午後二時頃かと思います。一休み。 朝から遺書を書き続けているうちに、窓の外は「雨も晴れ、うらら寒い雲模様」になり、途中、手が痛くなって休みながらも、幕田は鉛筆を走らせる。書いている紙は普通の便箋だ。一休みして、また短歌を詠む。一緒に同夜処刑される、石垣島事件の榎本宗応中尉が隣の房に居て、歌を披露している。「榎本君」といっても年はひとまわりと少し上の40代半ばだ。 〈写真:巣鴨版画集より〉