松島トモ子「母を100歳まで自宅介護。見送った後、70何年分の〈思い出〉を整理し、77歳で初の引っ越し。ようやく見つけた私の城」
◆前に進むためには捨てて捨てて 大変だったのは、わが家にぎっしり詰まっていた「思い出」と称する70何年分のゴミの処理(笑)。私は4歳でデビューしたから、写真だけでも一部屋分くらいあるんですよ。仕事はもう少し続けたいから、衣装と譜面だけは残し、捨てられるものはすべて処分。母の遺したモノも、このタイミングじゃないと思い切れないと考えて、お葬式の後、全部捨てました。 母があっぱれだったなと思うのは、モノに執着しない人だったことです。戦争であらゆるものを失い、その後も新築した家が丸焼けになり、祖父の骨董やら何やらいいものがあったはずなのに、全部焼けちゃった。でも母はただの一言も「あれが惜しかった」なんて言わなかった。 母が亡くなったときお棺の中に入れたのは、ずっとかわいがっていたぬいぐるみと、私の書いた『母と娘の旅路』という本一冊。あとはなーんにも入れませんでした。死ぬときは何一つ持っていけないのですから。 買い主さんへの鍵の引き渡しが5月の末にありました。モノの始末は業者さんにお願いして、70万円くらいかかったかしら。いい家具がたくさんあったのですが、重いし、天井が高い家でないと入らないということで、すべて処分しました。 緞通(だんつう)の絨毯があって、業者さんが「これは鍋島家と松島さんのお宅でしか見たことのないものです。処分するのはあまりにもったいないから、お持ちになったほうがいい」と言ってくださったんです。でもクリーニング代を聞いたら、なんと80万円。ビックリして、「いりません!」とお断りしちゃいました。 「もったいない」なんて言っていたら前へ進めない。進むためには、捨てて捨てて、ということしかありませんでした。一番大事な母との別れを経験し、私ももうモノはいらないな、と思ったのです。いつまでも大切にしていられる思い出を、心に残しておければそれでいいと。
◆マンションでの暮らしは新しいことの連続 引っ越しはスタッフ4人一組で4日間。テレビCMのように若い男性が見えるものと思っていたんですが、初日は、中年のご婦人が3人と若い男の子1人。その中の、背中の少し丸くなった年配の女性がリーダーだったのですが、この方がすばらしいんですよ、テキパキと指示を出して、親切で丁寧で。 2日目と3日目はCMのとおり若い男性が4人ずつ来て、荷物の運び出し。4日目は全員女性で荷解きをしてくださいました。 新居に足を踏み入れたとき、初日のリーダーの女性が作業をなさっているのを見て、「ああ、また会えた」って、ホッとして。 そうしたらその方が、「マンション暮らしはようございますよ、鍵一つで出入りできますし。こちらのお宅は目の前に欅の大木が見えますね。そしてお隣はお庭でございます。緑豊かでいいところをお選びになりましたね」と言ってくださったんです。 あとになって、この言葉を噛み締めて号泣しちゃった。私、あんまり泣かないのですけど、自分の慣れ親しんできた持ち家を離れて、マンションに移り住む、そのもの悲しさ、寂寥感、言葉にできない思いみたいなものを、その方はきちんとすくい上げてくださった。その心遣いが本当にうれしくて。 そんなこんなで、カーテン一つ自分で選んだことのない私のマンション暮らしが、77歳にしてスタートしました。最初の2日間はお湯の出し方がわからなくて、お風呂にも入れなかったんですよ。なにしろ喋るお風呂なんて初めてですから。 引っ越して4ヵ月になりますが、まだまだ新しいことの連続。とにかくドアがいっぱいあってまだ覚えきれていないの。トイレだと思ってドアを開けたら、トランクルームだったり(笑)。もう面白いったらありゃしない。 先日もちょっとしたアクシデントがありました。買ったばかりの新しいベッドから落ちて脳震盪を起こしちゃったの。毎日うちに来てくれている親戚が合鍵を使って中に入り、倒れている私を発見して救急車で病院へ。 結局、どこも悪くなかったんだけど、落ちたときにぶつけたらしく、あちこちにあざができ、目の周りもパンダみたいになっちゃった。ひとり暮らしって、やっぱりいろいろあるんですね。でも不安はありません。 以来、ベッドはマットレスを一つはずして低くし、さらに両側の床に柔らかいマットを置いたので、今度は万一落ちても大丈夫。これからもトライ&エラーで経験値を上げていけたらと思います。 不思議なんですけど、このマンションに移ったら、「この家の主は私」という気持ちになれたのです。これは生まれて初めての感覚。初めての私のお家。遅すぎる目覚めですが、70過ぎてそういう思いができるのはなんて幸せなことかしら、ってしみじみ感謝したくなります。 新居に引っ越したことは大正解でした。新しいものは驚くほど便利なのでどんどん使って楽をする。そして、何年先になるかはわかりませんが、次は終の棲家になるようなケア付きのシニアマンションに住み替えようかなあと思っています。 (構成=平林理恵、撮影=宮崎貢司)
松島トモ子
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