世陸リレーでの日本銅メダル快挙の裏に隠れたドラマ
16時30分から予定していたミーティングの前に、苅部コーチは藤光を呼び出して、体調とメンタル面を確認。5分ほど押してスタートしたミーティングで、4走のメンバーチェンジを発表した。 「我々はいろんな走順を想定してきました。富士吉田の合宿(7月後半)でケンブリッジは脚を痛めていた影響で、ほとんど練習ができない状態でした。そのときは、藤光にアンカーをやらせていましたし、桐生との相性もすごく良かったんです。予選が午前中にあったので、決勝まで時間がありません。大出術は避けて、プチ手術くらいにしたい。あとは、足長をどうするのか。予選の映像、データなどを確認したうえで、最終決定しました」 そして、21時50分。男子4×100mリレー決勝のレースに多田、飯塚、桐生、藤光の4人が登場した。日本は一番外側の9レーンに入ったことが幸運の始まりだった。1走・多田は、「僕は直線の方が得意なので、カーブが緩やかな9レーンは、予選の5レーンよりも走りやすかった。予選よりもカラダの軽さも違いましたし、スタートも決まっていたので、あとは飯塚さんのことを信頼して、バトンをぶち込むことだけを考えて走りました」と好スタートを切り、2走・飯塚に好位置でバトンを託した。 多田の勢いを受け継いだ飯塚の走りも素晴らしかった。 「予選はバトンがすべての区間で失敗したんです。でもバトン次第では、タイムをもっと縮められて、メダル争いにも絡めると思っていました」と飯塚。3走・桐生はもっと大胆に仕掛けていた。「藤光さんのところは練習時よりも1足分伸ばしたんです。決勝は1番か8番かというくらい攻めのバトンで行きました。僕の調子も良かったので、絶対に追いつける」。桐生から藤光へ、バトンがピタリと渡る。アンカーの藤光は、イギリス、アメリカ、ジャマイカを追いかけるかたちで走り出した。 日本のメダルは厳しい状況だったが、リレーレースは何が起こるかわからない。ほどなくして、6万5千人の大歓声が悲鳴に変わった。3番手でバトンを受けたウサイン・ボルト(ジャマイカ)が、40mほど走ったところで、左ハムストリングスを痛めて失速。残り30m地点で倒れこんだのだ。 メダルを目指して前を追いかけていた藤光は、「ボルトが止まったのは横目で見えましたが、それは気にせず、自分のレーンだけを見て、自分の走りに集中しました。順位はなんとなく良さそうだという感覚はあったんですけど、確認する余裕はありませんでした」と歓喜の瞬間に気づくことなく、フィニッシュラインを駆け抜けた。ボルトの“ラストラン”は衝撃の結末になり、その大混戦の隙を突いて日本が銅メダルをゲットした。