自転車でフランスを一周、走行距離は3000km超え! 世界最高峰のレースに魅せられた男の挑戦【浅田顕(前編)】
「現役生活で大切にしたのは、やるかやらないか。惰性でやったことは一度もなかったです。最初は国内の実業団に入っていましたけど、やっぱり途中で、これは最初に見たツール・ド・フランスとは違うなと感じ始めました。本場・フランスのクラブチームで1シーズン走ったら、やっぱりここだなと。プロ契約が取れてからも、次につなげることがとにかく大変でしたから、気は抜けませんでした」 フランスでのプロ生活は過酷なものだった。立ち位置はつねに補欠の補欠。レースも不定期で、声がかかれば即参加する状況だ。2か月間レースがなかったかと思えば、次の月に10レースほど走ったこともあった。そんな中で諦めず戦い続けたからこそ、次の方向性を見つけられたと浅田さんは語る。 「自分自身、そんなにすごい選手でもなかったですけど、当時から日本の選手をたくさん見てきました。その中で、『この選手がこう走ったら強いんじゃないか』とか『この環境ならもっと輝けるんじゃないか』とか、いろいろなことを考えました。自分がツール・ド・フランスに出られるとは思いませんでしたけど、他の日本人選手ならできるんじゃないかと。それが監督・コーチやチーム運営に舵を切った理由ですね。ヨーロッパの選手はツール・ド・フランスを目指す気持ちが強いですし、プロ契約からその舞台に立つまでの道筋が明確になっています。日本はそういう面がまだまだなので、そこからの見直しが必要だと思いました」 1996年、13年間の現役生活を終えたのちに掲げた目標は、「世界で戦えるプロ選手を日本から輩出すること」。指導者として、浅田さんの夢の第2章が始まった。 (後編に続く)
取材・文/森本雄大 写真提供/浅田顕