補強ド下手くそ!? リバプール歴代大損移籍6選。高く買ったのに…。活躍できず安値で売却せざるを得なかったのは?
アルベルト・アクィラーニ(元イタリア代表)
生年月日:1984年7月7日 獲得額:2000万ユーロ(約32億円) 放出額:200万ユーロ(約3.2億万円) 差額:1800万ユーロ(約28.8億円) 生粋のロマニスタであったアルベルト・アクィラーニは、2002年にローマの下部組織からトップチームへと昇格しデビューを果たすと、中盤の位置でレギュラーを掴み、2006年にはイタリア代表にも選出された。怪我がちではあったがその技術の高さに間違いはなく、ローマの中盤を支えていく選手だと思われていた。 しかし、当時のローマは財政難でありアクィラーニは非売品ではなかった。そこにリバプールが退団したシャビ・アロンソの後釜として獲得に乗り出し、2009年夏にリバプール加入が決まった。当時のアクィラーニは怪我で長期離脱をしていたが、当時の監督ラファエル・ベニテスは「怪我は契約期間の5年で治してくれればいい」とイタリア代表MFを守る姿勢を見せていた。 前述の怪我が回復してからはチームの一員として、09/10シーズンにはリーグ戦18試合に出場していたが、同選手のクラブでの立場を一変させる出来事が起きる。同シーズン終了後ベニテス監督が退任したのだ。大きな後ろ盾を失ったアクィラーニは構想外となり、加入わずか1年後にユベントスへのレンタル移籍を決断。翌シーズンもミランへとレンタル移籍し、12/13シーズンに200万ユーロ(約3.2億円)の移籍金のみを残して退団してしまった。
エル=ハッジ・ディウフ(元セネガル代表)
生年月日:1981年1月15日 獲得額:1500万ユーロ(約24億円) 放出額:480万ユーロ(約7.7億円) 差額:1020万ユーロ(約16.3億円) エル=ハッジ・ディウフは、2002年の日韓ワールドカップで快進撃を見せたセネガル代表の一員として活躍し、同年のアフリカ年間最優秀選手に選出。大会終了後にリバプールへと加入することになった。 しかし、レッズでディウフはあまり輝くことが出来ず、2シーズンでリーグ戦3ゴール10アシストとウイングのプレイヤーとしては物足りない成績に終わった。そして、03/04シーズン終了後にリバプールを退団している。 わずか2シーズンのみの在籍となったディウフだが、同選手はチームの輪を乱すという点でも不良債権となっていた。チームの大黒柱であったスティーブン・ジェラードとの仲は特に悪く、ジェラードは自身の自伝でディウフについて「ディウフはアンフィールドで一緒にプレーした中で最悪の選手」と述べている。 ディウフはジェラードのこの発言に対して「ジェラードは代表で何も成し遂げていない」と『So Foot』のインタビューで述べている。さらに、ジェイミー・キャラガーに対しても「彼は利き足がなかった。彼がマージ―サイドで生まれていなかったら、彼のキャリアは築かれなかっただろう」と『beIN Sports』のインタビューでリバプールのレジェンドにケンカを売りまくっている。チームのレジェンドに暴言を吐かれたリバプールとしては、ディウフとの契約は大失敗といっていいだろう。
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