“棄権”負け比嘉は当日計量後に体調が急変。試合は中止にすべきだった?!
前日計量で900グラムオーバーでまさかの体重超過。2時間の猶予をもらったが、汗ひとつ出ず、再計量を放棄して、2度防衛した王座は剥奪となった。だが、その際、具志堅会長は変則タイトルマッチになっても試合を行いたいという意向を伝え、JBCがWBC、プロモーターと協議した上で当日朝8時の計量でフライ級のリミットから10ポンド(4.5キロ)プラスの55.3キロ以内にリバウンドを抑え、健康状態に異常がなければ試合を決行することで合意した。 比嘉は、この日、その任意に規定された55・3キロから600グラムアンダーでクリアし、試合が成立することになった。比嘉は、日本人として世界戦で初の汚点を残したことを謝罪し、試合が実施されることへの感謝を短く語った。 具志堅会長の説明によると「ショックを受けていましたが、食事を取らせると徐々に元気が戻ってきた。水分を取っていないから水分はかなりの量が入りましたね」という。 だが、都内から横浜アリーナまで移動する長時間の車中で比嘉の体調が急変した。吐き気と体調不良を訴え、会場に到着して控え室に入るなりソファに横になったという。 まったく動くことができずウォーミングアップにも入れない状況になった。昨年10月のV1戦前には計量後すぐに大量の食事を摂ったため、嘔吐して失神した。その反省を受けて計量後は時間をかけて水分、食事を取るように改善したらしいが、また、その時に似た症状に襲われたのかもしれない。ドクターチェックが行われ再度、試合の中止が検討され、ドタバタと関係者が走り回っていた。 だが、ゴング3時間前になって具志堅会長がJBCに試合決行の意思を伝えた。具志堅会長は、リングに上げた理由を「本人が(リングに)上がると(希望した)。気持ちというか、動きというか、顔色とか(を見て、本人と)話をして大丈夫と思って(リングに)上げました」と説明した。 比嘉の動きは明らかにおかしかった。 珍しく距離を取り受けに回るシーンが目立つ。 「1ラウンドから全力で倒しにいく」と会見で語っていたが、いくにいけなかったのだろう。そして1分間のインターバルでは椅子を使わずに立った。 その昔、コンディション不良でリングに上がった元WBC世界バンタム級王者の辰吉丈一郎が同じようにインターバルで座らなかったことがあったが、そのときは、「一度座ったらもう立てなくなる」というのが理由だった。おそらく比嘉も、それほど追い詰められたコンディションだったのだ。 ベストコンディションならば相手が吹き飛ぶほどの破壊力のある左フックがまるで軽い。 3ラウンドにはクリンチをする場面も。頭をつけて左ボディから左フックの得意パターンにもちこもうとするが、足に力が入らないのか、浮いたようなパンチで、それが決定的なブローとはならない。 試合後、ロサレスは「パンチ力はまるで感じなかった。だから打ち合いを臨めたし前に出ていくことができたんだ」と回想していた。