“棄権”負け比嘉は当日計量後に体調が急変。試合は中止にすべきだった?!
4ラウンドには、足を使って逃げた。この時点での公開採点は、2者が39-37で挑戦者。多彩な左を使って攻め込んでいるロサレスが手数で圧倒していた。 それでも比嘉は気力をふりしぼって“沖縄魂”を見せた。7ラウンドには最後の勝負とばかりに前へ出て頭をつけて仕掛けた。左の上下のダブルから右のコンビネーション。比嘉のボディは効いていたのだろうが、ラウンドごとに衰弱していく比嘉の攻撃は、波状とはいかなかった。 「相手はパンチを出せなくなっているんだ! どんどんパンチを打っていけ!」 挑戦者の青コーナーのセコンドからは、そんな声が飛ぶ始末だった。 「ラウンドが進むごとに(棄権するんじゃないかと)感じた、手も出てこない感じだったから」 ロサレスは、比嘉の棄権を時間の問題だと考えていた。 アッパーを含めたクリーンヒットも何発かもらった。ダウンすることなく8ラウンドを戦ったのがむしろ奇跡的だろう。試合後、具志堅会長が「どうもすみませんでした。大吾は、今インタビューできる状況にありません」と、会見ができない比嘉に替わってメディアに囲まれた。 ――明らかに比嘉の動きが悪かった。 「短期間の2か月ちょっとで試合をさせた私の責任であります」 ――減量の影響は? 「期間が短かったですね。本人には悪いと思っています」 ――減量失敗の理由はわかったか? 「(減量ペースが)遅れましたね。減量途中から。やはり期間が短かったですね。公開スパーのときには、まずいかなあと思いました。動きは良かったが、ウエイトがかなりあった。5、6キロオーバー? そう。でも信じていますからね。選手、トレーナーのことは」 ――ここ数試合、減量がきつくフライ級は限界のように見えた。転級のタイミングを見誤ったのではないか? 「確かに厳しかったですね。倒すのが早かったもので、流れからみて、あまり減量を多くしなくていい方に(間違って)考えていた。でも体重が戻っているからね。それを落とすには時間と余裕が欲しかったですね。でもフライ級ではできたと思う。それよりも最大の原因は(2か月間隔の短い)期間です」 そして「2か月ちょっとは今の若い子には無理ですね」とつけ加えた。 2月4日の故郷沖縄でのV2戦は、わずか152秒での決着だった。確かにダメージはない。だが、ここ3試合続いた過酷な減量を考慮すれば無茶なスケジュールだった。 具志堅会長が、比嘉のことをもっと良く知っていれば、こんなことは起きなかったのかもしれない。そして名王者だった具志堅会長の現役時代の価値観を今の時代のボクサーに重ね合わせたことで未来ある22歳のボクサーが犠牲になったのだ。 16連続KOの日本記録更新もアウト、そしてキャリアにも初黒星がついた。いつもの比嘉なら勝てない相手ではなかった。 会場入りしてからの体調急変は試合をギリギリで中止にするサインだったのではないか。わざわざ負け覚悟の試合をやる意義は一体どこにあったのだろうか。