<マジックの裏側・木内野球を語り継ぐ>1994年春準優勝・清本隆治さん/上 裏かく先発 2カ月前通告 /茨城
◇「素人投手」先攻めで援護 1994年センバツ、岡山理大付との1回戦。「常総学院の先発は背番号1の左腕・高谷だろう」という大方の予想に反し、背番号10がマウンドに立った。細身のサブマリンはこれが公式戦初先発。「相手は左腕対策をしていたはず。まさか僕が投げるとは思わなかったでしょう」。清本は含み笑いで27年前を振り返った。 ◇ 清本は前年の秋季大会では、県大会で数試合に救援しただけ。夏にケガで一時入院し、体力が戻りきっていなかったためだという。チームは高谷を中心に関東大会まで勝ち進み、2回戦で敗退した。 年が明けた1月下旬。体力が回復した清本は、真冬の寒さの中で行われた紅白戦で自己最速をマークした。これを見た木内監督は言い渡した。「甲子園の初戦はお前で行くぞ」 まだセンバツ出場校が決定する前。しかも常総学院は「当落線上ギリギリ」と見られていたが、木内監督は早々と選手起用を想定していたのだ。 「背番号は何番がいい?」 「何番でもいいです」 「じゃあ10番な」 2月1日にセンバツ出場が決まると、清本は紅白戦で控えチームに振り分けられた。主力チームの打者と対戦を積むことで自信をつけさせるとともに、取材に来るマスコミや対戦相手のマークを外す狙いもあった。 ◇ こうして迎えた甲子園。清本に緊張はなかったという。木内監督は常日ごろ「試合に向けて最も準備できた投手こそ、マウンドに上がる資格がある」と話していた。先発の指名を受けて2カ月。「自分が最も準備した」という自信を得ていた。 木内監督はさらに念を入れた。1回戦前日のミーティングで、試合前のじゃんけんに勝ったら、先攻を取るか後攻を取るかが話題になった。野球は一般的に後攻が有利とされるが、木内監督は首を振った。「素人ピッチャーが投げるんだよ」。先に点を取って清本を援護できるよう、先攻めを取れと命じた。 思惑通りに試合は進んだ。一回、4番・一塁で出場の高谷が適時二塁打を放ち先制。勇気づけられた清本は3安打完封で勝利した。試合後の木内監督は「あれだけ投げてくれるとは」と満面の笑み。敗れた岡山理大付の早川監督は「采配の差で負けました」と脱帽した。(敬称略) ……………………………………………………………………………………………………… <第66回センバツ> ▽1回戦 常総学院 100000110=3 000000000=0 岡山理大付 ……………………………………………………………………………………………………… ■人物略歴 ◇清本隆治(きよもと・たかはる)さん 1976年生まれ、栃木県鹿沼市出身。投手。千葉県柏市の中学校から常総学院高に進み、右下手からのくせ球を生かして94年センバツで準優勝に貢献した。卒業後は東洋大でプレー。現在は東京都内の不動産管理会社で施設管理部門の部長を務めている。