爆撃機の名パイロットとして知られた檜貝襄治少佐。檜貝式爆撃法を生み出し、多大な戦果をもたらした。レンネル島沖海戦時は701航空隊の飛行長として九六式陸攻で出撃。被弾した後、重巡シカゴに体当たりする。戦死後2階級特進。((c) ABC ARC, INC.)
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