日本軍「極秘任務」を任された「潜水艦長」の”知られざる手記”を明かす…! 1945年8月、米空母攻撃前夜に起きた「悲しすぎる出来事」
太平洋戦争の末期、パナマ運河攻撃という極秘任務を帯びた世界最大の日本海軍潜水艦「伊400型」。その誕生から沈没までの数奇な運命を綴った新刊「伊400型潜水艦」(「丸」編集部編、潮書房光人新社)が一部書店で完売状態になるなど、話題の書としてヒットしている。 【写真】軍事誌発「伝説の航空機本」、そのすごい中身を公開する…! この"怪物潜水艦"をめぐる知られざるストーリーがふんだんに散りばめられていることが本書ヒットの背景だろうが、中でも最大のドラマは日本の降伏により米空母群への攻撃が直前で中止された8月15日前後の動きだ。神龍特別攻撃隊と命名された伊400と伊401の2隻のうち、後者の艦長に就いた元海軍少佐、南部伸清氏の掲載手記から当時の緊迫した様子について一部抜粋・再構成してお届けする。
物凄い量の連合軍艦艇と航空機がやってくる中で…!
1945年6月中旬になると、戦況はさらに悪化し、とてもパナマ運河攻撃というような戦略的作戦は実施できる環境にはなかった。そこで軍令部としては、当面は頭上の蠅をはらうために、敵機動部隊中の空母攻撃に方針を変更した。 そこで攻撃対象として浮上したのが当時、敵の前線基地があった南洋のウルシー環礁だった。ここに在泊する空母群に対し、人間魚雷・回天と航空攻撃による空襲をすることになった。 7月22日夕、伊401、伊400が順に青森・大湊を出撃した。この2隻は神龍特別攻撃隊と命名された。絶え間なく西へ西へと移動する連合軍艦艇や航空機に遭遇し、その物凄いばかりの量に圧倒され、日本の運命が予見されるようだった。 しかし私は、日本は絶対に降伏するものではないと信じていた。
太平洋の真っ只中で「即時戦闘停止」命令
8月14日、第一次の会合点で伊400と会合できなかった。そして、一日待ったが無駄だった。伊400の安否を気遣っているとき、通信諜報士官が「日本降伏近し」という情報を報告してきた。しかし、私はこれを敵が流したデマであるとして、乗員に知らせることを禁じた。 翌15日には先遣部隊指揮官から「昨日、和平渙発されたるも、停戦協定成立せるものにあらざるをもって、各潜水艦は所定の作戦を続行、敵を発見せは決然これを攻撃すべし」と発令していた。 しかし、16日には海軍総隊指揮官から「即時戦闘行動停止すべし」と発令されたのである。もはや日本の降伏は厳然たる事実である。ただ、このような場合にいかに処置すべきかは、いかなる典範にも示されていなかった。日本古来の武士道と、海軍の伝統的精神は、生と死に迷う時は、むしろ死こそ選べと教えている。いったいどうすればいいのか。5000トンの潜水艦、飛行機3機、魚雷20発、そして大砲も健在、乗員203人、あるところは太平洋の真っ只中である。
有泉司令が自決「本職ノ責ニシテ申シ訳ナシ」
8月16日、命令によって搭載した飛行機も、魚雷も、爆弾も海中に投棄し、8月30日黎明、三陸海岸で米潜水艦セグンドに捕捉された。 その監視のもとに横須賀に回航中、伊401に乗艦中の司令、有泉龍之助大佐が8月31日黎明に自決された。四通の遺書はご家族に渡しているが、そのうちの一つをかかげる。 《今次ノ行動戦果ヲ挙グルニ至ラズシテ事茲ニ至ル。真ニ本職ノ責ニシテ申シ訳ナシ。我ガ精鋭ナル部下ハ今後忠良ナル臣民トシテ御奉公スルコトヲ確信シツツ死ヲ以テ帝国海軍ノ伝統ト終戦ノ時期マデ太平洋上ニアリシ首席指揮官トシテノ誇リヲ維持シ、併セテ帝国将来ノ再建ヲ祈念セントス 天皇陛下万歳》
潮書房光人新社